半助による意外にも味付け抜群の鍋を食べ終わり、茶を飲んで、平太は一息ついた。
腹が膨れ囲炉裏の火にあたっていると、なんだか眠くなってくる。
考えてみれば、ぐっすり眠った半助はともかく、昨夜は深夜まで補習授業を受け、今朝は夜明けから起きてしまった平太は、ほとんど寝ていないのである。
うとうととし始めた平太に、半助から声がかかる。
「こんなところで寝ると風邪ひくぞ。体を拭いて着替えて来い。その間に布団を敷いておいてやるから」
手拭を渡され、さっさと土間へと追いやられ。
振り返ると、奥の間に入っていく半助の後ろ姿が見えた。
夜も深まり、土間は底冷えのする寒さだった。
身震いしながら湯で丁寧に体を清め、学園から持ってきた自分の寝巻に着替える。
囲炉裏の間に戻ると、入れ違いに半助が手拭を持って土間へ下りて行った。すれ違いざまに、「奥の部屋に布団が敷いてあるから、先に休んでいていいぞ」と言われたが、その時には眠気はなくなっていたので、平太はしばらく囲炉裏端でぼんやりと座っていた。
しかし、襖一枚を隔てた所で身を清めている半助の気配にどうにも落ち着かず、何気なく奥の襖を開けた平太は、唖然とした。
「………」
…………どうして布団がひとつなのだ…………。
「先に寝てなかったのか?」
部屋の入口で呆然と突っ立っていると、不意に後ろから声をかけられ、平太ははっと我に返った。見ると、寝巻に着替えた半助が、濡れた手拭を片手に立っていた。
いつのまにか、囲炉裏の火は消えている。
「もう、寝るだろ…?」
そう言って、半助は囲炉裏端の蝋燭をふっと吹き消した。
途端に部屋に闇が降り、灯りは枕元の蝋燭だけになる。
「せ、先生…。あの、俺の布団、は…?」
「お前の布団…?そんなもんはないぞ。お前だって知ってるじゃないか」
当たり前のことのように半助が言い、平太の隣に来る。
たしかに、知っている。
知ってはいるが、こうして泊まるからには何か用意があるのかと思っていたのである。
「あれからここには帰ってないんだ。買う時間なんかあるわけないだろ?」
「あのときは夏だからよかったですけど…さすがに俺も、冬は……」
平太が顔をひきつらせると、半助が、ぽそりと言った。
「……一緒に使えばいいじゃないか……」
「だから、先生はそういうことをさらっと言うけど…っ」
と、首にする…と腕がまわされ、半助の顔が近付いた。
そして唇に生温かな息がかかるのを感じた直後、しっとりとした半助の唇が押しあてられた。
「っ…」
そのまま、平太の唇を割り、舌を絡めてくる。
熱い吐息とともに絡みつく濡れた舌。
布越しに伝わる温かな体温。
薄闇の中、蝋燭の灯りに照らされた、湯の匂いがする半助の肌。
それら全てがあまりに扇情的で、平太はこくりと、どちらのものともつかぬ唾液を飲み下した。
………こんな状況で、こんな接吻は………まずい………。
「だめ、だよ…先生……。……とめられなくなる……」
平太は、半助の腰を掴んで体を離そうとした。
掌に感じる体温にさえ、平太の情欲は刺激される。
すると、半助が、ぽつりと呟いた。
「……いい……」
「…先、生…?」
「……とめなくて……いいから……」
半助は、誘うように、ぎゅ…と体を押し付けてきた。
蝋燭の僅かな灯りでもわかるほど、半助の顔は真っ赤だ。
平太はそれで、言われている意味を理解した。
「……平太……」
何も言わない平太を、半助が不安げに見つめる。
熱い体を押し付けられ、至近から潤んだ目で見つめられて、それは平太の情欲を引き出すには十分過ぎた。
平太は衝動のまま半助の肩を掴み、その体を布団の上に押し倒そうとした。
しかし、そのとき不意に、半助の瞳に映る自分の顔が目に入った。
平太の動きが、止まる。
「………」
平太は、ふ…と息を吐き、掴んだ肩をそっと押して僅かに体を引いた。
「や…っ、へい…っ」
拒まれたと思ったのか、半助が泣きそうな顔でしがみ付いてくる。
平太は、静かな声で囁いた。
「先生、落ち着いて…。大丈夫、ちゃんと……抱いて、あげるから……。でも、その前に、話せる…?どうして、そう思ったのか。先生にとって、大事なことでしょう…?俺にとっても、そうだよ…」
あんなに悩んでいた半助が、なぜそう思ったのか。
明秀が聞いたら野暮な質問だと馬鹿にするだろうが、平太は半助が大事なのだ。後から半助が後悔するようなことにだけは、絶対になってほしくなかった。
半助の気持ちを知ることなく勢いだけで抱くことは、平太にはできなかった。
半助を布団の上に座らせ、髪を撫でる。
半助はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……この前……お前……刻限になっても戻ってこなくて………俺が着いたときには…もう…屋敷が燃えてて……」
その時のことを思い出したのか、半助の目にじわりと涙が浮かぶ。
平太は髪を撫でていた手でそのまま頭を抱き寄せてやった。
半助が、話を続ける。
「……俺……体が冷たくなって……。あんな風に突然別れてしまうことがあるなんて、それまで思いもしなかったんだ…。変だよな、全然あり得ないことなんかじゃないのに…。でも、お前、それくらい当たり前に傍にいてくれて、いつも優しくて、俺を甘やかすから……・」
半助が、平太の胸に額を押し付ける。
「……俺といることが、本当にお前の幸せなのか、ずっと自信が持てなかった……。お前にはもっと…違う…幸せがあるんじゃないかって……。正直今だって、自信なんかない…。でも、あの夜、お前の寝ている顔を見ていて、思ったんだ。こんな関係のまま、もしお前に何かあったら、俺は絶対に後悔する…。お前はこんなに愛してくれているのに…、こんなに大事にしてくれているのに……。そして俺は、こんなに………愛していて………」
平太は半助を抱く腕に力を込めた。
「…どんな関係になっても、お前は俺の生徒だ。その事実は、変わるものじゃないよな……?」
だから、いいんだ――。
そう言って、半助は顔を上げ、静かに頬笑んだ。
それはとても綺麗な笑みで、平太は一瞬見とれる。
そして、誰よりも愛するその人を、きつく腕の中に抱き締めた。
「……本当に、いいの……?」
半助は、はっきりと頷いた。
「…………ありがとう……先生………」
「それを言うのは俺の方だよ…。お前はずっと待っていてくれた。……ありがとうな、平太……」
平太は愛しさでいっぱいになって、半助の髪に口付け、額に、瞼に、頬にと口付けていった。
半助はくすぐったそうにそれを受けていたが、口付けが耳に及ぶと、ぴく、と体を震わせた。
続いて吐息を零した唇を、平太は優しく塞いだ。
一度高まっていた体に火がつくのは、すぐだった。