今年も残すところあと数日となったその日。
平太が半助とともに彼の家に到着したのは、すでに西日が街を染め始める時分だった。
………なんということだ………。
平太は、愕然とした。
半助と二人きりで過ごす休日の一日目が、もうすぐ終わってしまう。
明後日の朝には発たなければならないから、実質上あと一日半となってしまった。
「だから早く出ましょうって、あれだけ言ったのにっ!!!」
隣でぎゃーぎゃーと大騒ぎしている平太に、半助は溜息をついた。
ここへ来るまでの道中、二人はずっとこの調子だった。
二学期も昨日で終わり、忍術学園は今日から冬休みである。
そして今朝、「おはようございます!」の声とともに旅装姿の平太が半助の部屋を訪れたのは、まだ夜が明けきっていない“朝”と呼べるかどうかも微妙な時刻だった。本当に“おはよう”である。遠方へ帰る生徒の中には暗いうちに出発している者もいたが、半助の家は決して遠方ではない。
半助は寝床の中から、元気いっぱいな少年を呆と見上げた。
ちなみに伝蔵は、例によって迎えに来た利吉により昨日のうちに連れ去られており、既にいなかった。
一秒でも半助と二人きりの時間を確保したいらしい平太が、それを羨ましそうに眺めていたのを半助は知っている。
半助だってそうしたいのは山々だった。
が、それができない事情があった。
例によってトラブルメーカーのは組の教科が、今年中に終わるべきところまで終わっていなかったのである。
そこで二学期最終日の昨夜、は組は全員揃って、深夜まで補習授業を行ったのだった。
授業後、教材の整理をし、一番鶏の鳴き声を聞きながら半助は床に就いた。
ちなみにその前の晩も、補習授業の準備で一睡もしていない。
そんななので、夜明けとともに襲来した平太に、半助は一言「頼む…もうすこし寝させてくれ…」と告げると、再び夢の中へと戻っていったのだ。
次に目覚めたときは、すでに正午をまわっていた。
久々に十分な睡眠をとった半助は、すっきりした気分で伸びをした。
そしてふと隣を見ると、不機嫌を隠そうともせず、じっとりと半助を見ている平太がいた。
「そ、そろそろ行くか…」
恐る恐る告げた半助に、平太はすかさず怒鳴った。
「当たり前ですっ!どれだけ眠れば気が済むんですか!六時間ですよ、六時間!あなた、本当に忍者ですか!?」
しかしそんなことを言いつつも、平太はその間一度も起こさずに半助が目を覚ますのを待っていてくれたのである。しかも、朝食も昼食も取り損ねた半助のために、握り飯まで用意してくれていた。
そんな数刻前の彼を思い出して、あいかわらず優しい奴、と家の錠を開けながら、半助は笑みをこぼした。
「ほら、はいれ。頭ぶつけないように気をつけろよ」
先に入った半助が暖簾を上げてやると、平太もぶつぶつ言いながら中に入ってくる。
「おじゃまします…、って何を笑ってるんですか」
平太はまだ不機嫌である。
「もういい加減、機嫌を直せ。まだ明日一日ゆっくりできるだろう?」
「うわ…、よくそんなことが言えますね」
信じられない、という目で平太が半助を見る。
そして続いて言われた台詞に、半助は閉めたばかりの戸に頭をぶつけそうになった。
「先生は俺といちゃいちゃしたくないんですか!」
「い、いちゃいちゃって……なんだそりゃ!」
「こーゆーことですっ」
平太は自分の荷物をぽいと放ると、戸に半助の背を押さえつけるようにして、その唇を塞いだ。
「っ…」
とさ…と半助の手から荷物が落ちる。
平太は奥に縮こまっている半助の舌を誘い出し、それを優しく吸いながら、半助の体に腕をまわした。
「…ん…っ」
決して誰にも見られる心配のない場所での接吻に、半助は酔った。
それは、今まで感じたことのない高揚感を彼に与えた。
しかしすぐに、いや、そんな理由じゃないかもしれない、と思い直す。
自分がこんなに感じている理由は、きっと別にある…。
唇が解放され、半助はゆっくりと瞼を上げ、平太を見つめた。
潤んだ目で自分をじっと見つめる半助に、平太は改めて、ちょっとまずい、と思った。
やっと本当に二人きりになれたこんな密室で、こんな目で見つめることの意味を、半助はわかっているのだろうか。
平太は、ここで過ごした四月前の夏の夜を思い出し、内心で嘆息した。
覚悟していたことだが、今日と明日の夜は、理性との戦いになりそうである。
多分に艶を含んだ空気を払拭するように、平太は半助の体を離し、先程からずっと考えていた提案をした。
「買い物に行きましょう!」
半助が、子供のような顔でぱちりと瞬く。
「買い物?何を?」
「食材ですよ。今日と、明日と、俺が帰った後の分も。先生、放っとくと何もやらないでしょう?でも、ちゃんと栄養とらないと、体に悪いですよ。だから、まずは買い出しです!」
「何もやらないって…。お前は俺を何だと思ってるんだ…」
「あの夏の先生を知ってる俺に何を言っても、説得力はありませんよ。さ、着いたばかりでなんですが、出かけましょう。早くしないと店が閉まってしまいます」
「今夜はまた外で蕎麦でもいいんじゃないか?」
面倒くさそうに言った半助に、平太は、まだそんなことを言うのかこの人は…とすかさず言い返した。
「俺は少しでも長く先生と二人きりで過ごしたいんです!」
「……そっか……。そうだよな、ごめん…。…俺もだよ、平太。俺も、お前と二人で、ゆっくり過ごしたい」
そう言って、半助は平太を見つめる。
「…そ、それなら、決まりですね!」
再び甘くなり始めた空気に、平太は慌てて半助を促し、外へ出た。
どうして今日はすぐにこういう雰囲気になってしまうのか…。
やっぱり半助の家にいるせいか?
平太は首を傾げた。
食材を買い、家に着いた頃には、陽はすっかり沈んでいた。
「じゃ、料理を始めましょう!」
といっても、今夜は鍋なので、材料を切るだけなのだが。
平太が竈で飯を炊いている間に、半助は手際よく野菜と魚を切り、囲炉裏に鍋をかける。
平太は意外な気持ちで、そんな半助を見た。
「先生、慣れてるんですね。…いや、斬り慣れているのは当然か…」
微妙な面持ちで呟いた平太に、半助が苦笑して言い返す。
「ちがうだろっ。…俺だって料理くらいするよ。俺は単に夏の暑さに弱いだけなんだって。といっても冬にも強くはないけど…」
「先生、寒がり?」
「んー、まぁな」
「へぇ。でも、今夜は俺がいるから大丈夫ですよ」
土間から見上げて笑いかけると、半助は囲炉裏を見つめたまま黙ってしまい、言い返してはこなかった。
最近この手の冗談は空振りばかりだな…と、平太はぽりぽりと頬を掻く。
あ、先生の癖がうつっちゃった、と思いながら釜を確認すると、程よく飯が炊き上がったところだった。