「で、どうだったんだ?同窓会は」

 日付が変わる近くになり、あらかじめ決めていた合図を受けて、半助は裏山へ行った。
 同窓会を終えた恋人と、ここで会う約束をしていたからだ。
 今回の就職相談会には平太と同じ学年の者たちが数人呼ばれていたため、彼らは学園近くの小料理屋で、ささやかな同窓会を開いたのだった。

 「楽しかったよ、あいつらに会うの卒業以来だったし。半助も来ればよかったのに。みんな残念がってたぜ」

 だいぶ酒も飲んできただろうに、まったくそれを感じさせない涼しい顔で平太は言った。

 「明日も普通に授業があるんだから、無理だよ。行きたかったけどな」

 今夜は師走の割に暖かく、こんな場所で話していてもさほど寒さは感じない。

 (…?)

 と、不意に半助の神経に、微かな、けれど確かな人の気配が触れた。
 体を動かさず、そっと視線だけを凝らす。
 位置はだいぶ離れているが、木々の影からこちらを見ているのは。

 潮、江――?

 半助が目を瞠ったそのとき、突然なんの前触れもなく平太に腰を引き寄せられ、口付けられた。

 (!)

 平太はあの少年に気付いていないのか?
 焦った半助は、腕を突っぱね、抗おうとした。
 しかしぐ、と強く腕を掴まれ。

 「このままじゃ駄目だってこと、わかってるでしょう…?」

 耳元に囁かれた言葉に、半助は息を飲み平太の目を見つめた。

 (お前は、全部気付いて……)

 その一瞬の間に、半助の中で、様々な思いが浮かんでは消えた。
 そして。
 最後にふわりと浮かんだのは、半助と話しているときにいつもあの少年が見せる、未来がいっぱいに詰まったようなまっすぐな眼差しだった。
 忍者になる夢を、誰よりも真摯に追い続けてきた少年。


  ………。

 半助は、固く手を握り締め。
 それから、ふっと全身の力を抜いて、躊躇いがちにそっと、微かに平太の背に手を添えた。

 「っ…」

 途端、体をより強く抱かれ、口付けが深められる。

 「…んっ」

 半助はそれも、黙って受け入れた。
 身を切られるような痛みを感じながら、呼吸をすることさえできずに。





 遠ざかる二つの気配に、平太はゆっくりと唇を離した。

 「………」

 半助の顔を覗うと、その視線は何かを堪えるように伏せられたままだった。
 息継ぎすることも忘れ、ただ平太の口付けを一方的に受けていたその唇は飲み込まれることのなかった唾液で濡れていて、平太は親指でそっとそれを拭ってやった。
 そして慰めるように、ぽんぽんと軽く頭を叩く。

 「……お前、気付いてたのか」

 半助が静かに呟いた。

 「このまま黙って帰るつもりだったんですけどね…。でもさっきあいつの顔が見えて、このままあいつが動かなければ、半助も動けない。何も状況は変わらない。そう思ったら、勝手に体が動いてた」

 「……できれば、あんなやり方はしたくなかったんだ……」

 絞り出すように言った半助に、平太は「それは俺も同じですよ」と答えた。

 「俺はあいつが入学したときから知っているんです。でもだからこそ、あんな状態のままにさせておくわけにはいかないでしょう?一番大事な、この時期に」

 「………」

 「出過ぎたまねを、しましたか?」

 「…いや」

 半助は泣きそうな顔で苦笑した。

 「俺の方こそ、結局お前に頼ってしまって、ごめん…。…情けないよな。自分の問題なのに、自分で解決することもできないなんて…」

 平太は微笑んだ。

 「半助はこういうの、苦手だもんな」

 「…お前と違ってな…」

 「人を遊び人のように言わないでください…。でも、ま。あいつも今は辛いでしょうけど、仙蔵がいるから、きっと大丈夫ですよ」

 「…どうして立花がいると大丈夫なんだ?」

 平太の口から出た名前に、半助は怪訝そうに視線を上げた。

 「だって、仙蔵は昔から………いや、なんでもない」

 平太は口を閉ざした。

 そうか。
 半助は知らないのか。
 あの少年の、秘めた想いを。
 あいつも本心を隠すことばかり上手くなって困ったものだな…、と平太は思った。
 もっとも平太から見れば、あの少年の想いはこの上なくわかりやすいものなのだが。

 「なんだよ」

 途中で言葉を切られた半助が、不満そうに見つめてくる。

 「……」

 腕の中から見上げてくるその顔に、こっちにも一人困りものがいる、と平太は思った。
 この人は本当に、もうちょっと自覚をもった方がいい。
 誰にでもこんな風に無防備な顔を見せるから、今回のようなことも起こるのだ。
 半助にだって多少の責任はある。
 忍術の腕は一流なのに、どうしてわからないのだろう。

 だけど一方で、そういう所も含めて愛おしいと思ってしまっている自分が確かにいて。
 そんな自分に呆れながら、平太はじっとこちらを見つめているその体をばふんっと勢いよく抱き込んだ。

 「半助は俺のことだけ見ていればいいんだよ」

 「平太」

 「…俺と会ってるのに他の人間のことばかり考えて溜息つかれて…。本気で嫉妬しそうだった…」

 半助の髪に唇で触れながら囁くと、半助は少しだけくすぐったそうに身を捩り、そして力を抜いて体を預けてきた。

 「…だって、生徒からあんな風に想われたのは初めてだったから、吃驚したんだよ…。誰かに言える話ではなかったし……」

 「……」

 ……おいおい。

 平太は呆れた。
 一体何を言っているのだ、この鈍感大魔王は。
 生徒から想われたのが初めて?
 そんな風に思っているのは、本人だけだ。
 平太が学園にいた当時だって、半助はくの一教室でかなりの人気だった。
 ただ誰も教師に告白をする勇気がなかっただけで。

 そもそも――。

 「…あのさ、忘れてるようだけど、俺も一応半助の生徒だったんだけど…」

 複雑な気持ちで呟くと、半助はふっと顔を上げ、平太を見た。

 「忘れるわけないだろ。わかってるよ。だけどお前の場合は、すこし違うんだ」

 「違う?」

 首を傾げた平太に、半助はこくりと頷く。

 「だって、お前の気持ちを知ったときにはもう、俺はお前のことが好きだったんだから」

 至近距離からまっすぐな目で、きっぱりと言われ。

 (っ…)

 次の瞬間、平太は自分の顔にかぁぁぁと血が上るのがわかった。
 しかし近すぎて、半助の視線から逃れることはかなわない。
 まったく予想外の不意打ちだった。
 そんな平太の反応に、半助がびっくりしたように目を丸くする。

 「……な、なんて顔してるんだよ、お前……・・」

 「……だって今の……強烈………」

 どうにかそれだけ答えるが、顔の熱は一向に引かない。

 「は?…え、だって、あのときにも俺はお前にそう言ったろ?だから俺たちは今、こうしているんじゃないか」

 理解できない、という顔で半助が言う。

 「…それはそうだけど…。こんな風に改めて言われると……」

 何の心の準備もないところに突然心臓をぎゅっと掴まれてしまったような、そんな感じだったのだ。

 「……は…、恥ずかしい奴だな……。そんなこと言われたら、なんだか俺まで恥ずかしくなってきただろ…っ」

 つられてしまったのか、半助も赤い顔をしてそっぽを向く。

 「「………」」

 付き合って三年にもなり。
 こんな所で二人して赤い顔して向き合って、一体何をやっているのだろう、自分達は。
 だけど、そんな自分達も決して嫌いではなくて――。

 「……だめだ」

 突然ぼそりと呟いた平太に、半助が小首を傾げる。

 「何がだめなんだ?」

 「我慢できない。抱きたいよ半助を、いますぐに」

 平太が半助を見つめてありのままの気持ちを告げると、半助はぱちりと瞬き。
 それから優しく、しかし無情に微笑んだ。

 「だめだよ。わかってるだろう?学園内では、だめだ」

 三年前とまったく変わらない半助の返答に、懐かしさを覚える余裕など平太にはない。

 「前に一度行ったあの小屋は?この森の奥だろ?」

 「…お前、いつの話をしてるんだよ。あそこは今はもう忍具でいっぱいだ。それに隙間風だらけで、こんな季節に使えるような所じゃないよ」

 半助はきっぱりと言いきってから、がっくりと項垂れてしまった平太の頭を、そっと撫でた。
 今あまり刺激されるのは辛い平太の状況をわかっているのか、髪に軽く触れるだけだ。
 しかしその感触さえも、平太には拷問とおなじで。

 「我慢しろ。あとちょっとだよ。もうすぐ、冬休みだろ?」

 「……」

 「しめ縄作りと門松作りのアルバイトが終わったら、ゆっくり会えるから」

 「――なにそれ」

 まあ聞くまでもないだろうが、、、。

 「いや、既にきり丸に予告されていて……」

 予想どおりの台詞を言い、苦笑する半助。

 「…じゃあ、それが終わったら、しめ縄作りと門松作りのアルバイトが終わったら――」

 平太はゆっくりと顔をあげて、半助の目を見つめた。

 「一日中、半助のことを好きにしていい…?」

 「……好きに…って……」

 戸惑ったように瞳を揺らした半助の頬を、平太はそっと両の掌で包み込む。

 「――いま半助が、考えているとおりだよ」

 囁くと、掌に触れている体温がふわりと上がった。

 「一日中、朝から晩まで、半助を抱いていい?」

 今度ははっきりと言い直すと、半助は小さく息を飲んで、それから黙ってしまった。
 伏せられたままの視線。

 「だめ?」

 「…………」

 「半助?」

 「……ょ…」

 地面を見つめたままの半助の口から、ごにょごにょと不明瞭な言葉が漏れる。

 「聞こえないよ、半助」

 平太は真っ赤になってしまっている半助の耳たぶを指先でそっと撫で、甘く囁いた。

 「………いい……よ……」

 今度は平太にも聞こえるくらいに、それでも小さく小さく恥ずかしそうに呟いた半助の、その殺人的な可愛らしさに。

 (………)

 そのように仕向けておきながら、平太はそんな自身を心の底から後悔した。


 卒業して三年たっても、やっぱり半助は半助だった。
 冬休みまで、あとちょっと。
 しかしそれは、今の平太には、何十年も何百年も先のように感じられるのだった。






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