数刻後。
 蝋燭のともる部屋で、中央に敷かれた布団にしがみつく丸い影が二つ。

 「「ふえ…っ、ふえぇ…んっ」」

 「ほら、もう泣きやめ」

 「だっ…だってせんせぇ、ぼっ…ぼく達のせいで…っ」

 「ぼく達、うごいちゃいけないって…っ…ひっく…、言われて…たのに…っ」

 「私のことを心配してくれたんだろう?ありがとうな」

 布団の中から半助が微笑むと、子供達の目にぶわっと涙が溢れた。

 「「う…っ、うぇぇええ〜〜〜ん!」」

 「ああもう、泣くなって言ってんのに…。ほら、しんべヱ。鼻水で布団がびちょびちょだ…」

 半助はゆるゆると力なく手だけを伸ばし、苦笑しながらしんべヱの鼻をチーンしてやった。



 天下に名を馳せたシラサギ忍との闘いは、半助達に予想以上の苦戦を強いた。
 しかしそれでもどうにか全てを始末し終えたと思ったその瞬間、外が静かになったのを知ったしんべヱと喜三太が「先生!」と家の中から飛び出し、半助の元へ駆け寄ってきたのだ。
 忍たまになって間もない二人は、確実に敵の息の根を止めていることを確認して初めて戦闘は終わりであるという鉄則を知らなかった。そして運悪く、一名の忍びの息がまだ残っていたのである。既に意識が朦朧としていたであろうその忍びは、最期の力を振り絞るように目の前に飛び出した影――喜三太――に向かって思い切り忍び刀を振り下ろした。
 しんべヱ達の登場に一瞬気を取られた半助にその刀を払う余裕はなく、全身で喜三太を腕の中に抱き込み、渾身の力で振り下ろされたその一刀を背中で受け止めたのだった。

 半助の意識はそこで途絶え、次に目覚めたときは、見知らぬ天井の下に寝かされていた。
 聞けばクロサギ城が千影達のために用意していた屋敷だそうで、まだ新しい木の香のする、先刻の家よりずっと居心地のいい屋敷だった。シラサギとの国境近くではあるものの、クロサギ領内に位置しているという。
 ここまで自分がどうやって運ばれたのか、半助にはまったく記憶がない。

 「ほら、シンベヱ君も喜三太君も、そんなに泣いてばかりいたら先生が休めないわ。あっちに暖かいお汁粉を作ったから、一緒に食べよう?」

 宥めるように小夜が言っても、シンベヱも喜三太も半助の側を離れようとしない。
 しんべヱが食べ物に目を向けないとは、相当である。
 かえって半助の方が、心配になってしまった。

 「ふたりとも、小夜さんと一緒に食べておいで。私は少し寝るから」

 半助は自分にぴったりと貼りついている黒い二つの頭を、優しく撫でてやり、できるだけ元気な声でそう言った。

 「先生、眠るの?」

 「ならぼく達、あっちに行ったほうがいいよね」

 二人はウンと頷き合うと、真っ赤な目を擦りながら、小夜に手を引かれ部屋を出て行った。

 それを見届け、半助は一人残っている平太の方へ顔を向けた。
 平太は枕元に座り、先程から一度も口を開かず、何かを堪えるような表情でじっと半助を見ている。
 半助は静かに微笑み、布団から出した手をゆっくりと平太の方へ伸ばした。
 平太が無言でその手を握る。
 そのひんやりとした感触に、半助は自分が熱を出していることを知った。

 「平太」

 「……」

 「元気そうで、よかった」

 「……」

 「仕事、頑張ってるんだな」

 「……」

 「……平太……?」

 何も言わない平太に、半助は不安になる。

 「その…仕事の邪魔をしたことは、本当に悪かっ…」

 半助が言い終わるより前に、平太が半助の肩口にぎゅぅ…と顔を埋めた。

 「……半、助……」

 震える声が、半助の鼓膜に染み透る。

 「……半助……半助……」

 平太は繰り返し、半助の名だけを呼んだ。

 「……」

 半助はゆっくりと手を上げ、 平太の頭を抱くようにして、髪を撫でた。
 そして、目を閉じる。

 「…お前の…匂いがする…」

 「……」

 「平太…。ここに…いるんだな…。夢じゃ…ない…」

 半助の瞳から涙が一筋零れ落ちた。
 平太の唇が、優しくそれを拭う。
 その温かい感触に、半助は心の底から安らぎを感じ、そのまま深い深い眠りへと落ちていった。




 静かな寝息をたてている半助の寝顔を平太はしばらく眺め、それから小さく息を吐いて廊下へ出、そっと襖を閉めた。
 雨上がりの庭の紫陽花に月の光が射し、葉の上の滴が白く光っている。
 平太は木の下に佇む千影の姿を認め、自分も庭へと下りていった。
 気付いた千影が、顔を上げる。
 そこに、いつもの人を食ったような表情はなかった。

 「先生は?」

 「眠ってる」

 「小夜の薬は沈静作用があるからな」

 そう呟きながら千影は半助の寝ている部屋の方を見やり、目を細めた。

 「あの人、すごいな…」

 「……」

 「最初に狙われたとき、気配に気付いたのはほぼ全員同時だった。だが、動けたのはあの人ひとりだ。条件反射っていってもいい速さだぜ、あれ。…あの後だってそうさ。もし俺達だけだったらと思うと、ぞっとする…。今となっては、あの坊やのナメクジに感謝だぜ」

 「…半助は、俺の目標なんだ。これまでも、これからも」

 平太が呟くと、千影の顔にふっとからかうような色が戻る。

 「“半助”、ね」

 「ふん。どうせ、とっくに気付いてんだろ、俺達のこと」

 「怒んなって。見直したぜ、お前。見る目あるじゃねぇか。どおりでどんないい女に言い寄られても靡かねぇわけだ。あんな人が待ってるんじゃな」

 「俺はあの人以外に興味はない。あの人だけだ。……なのに…守れなかった……」

 平太は肩を落とした。
 すぐ傍にいたのに、あんな怪我を負わせてしまった。
 まだ自分は半助に守られているだけなのかと思うと、悔しくて、情けなくて、涙が出そうになる。

 と、上からわしっと頭を掴まれ、ごしごしと乱暴に撫ぜられる。

 「大事な人を守りたいっていう気持ちは俺にもよーくわかるけどな、焦るな、平太。お前はどんどん強くなってる。自分でもわかってるはずだぜ、この一年半でどれだけ成長したか。教えてる俺の方が空恐ろしくなるほどだった」

 「……」

 「ましてやあの人は教師だ。きっとあの人が一番わかってるよ、お前の成長をさ。…それとな、これは命の恩人のために出血大サービスで教えてやるが、お前は自分だけが相手に寄っかかってると思ってるみてぇだが、大きな間違いだぜ。お前達が再会したとき、お前は自分のことで手一杯で気付かなかったろうが、あの人、どんな顔してたと思う?どんな情熱的な恋文も、愛の言葉も、あの目の前には完敗だぜ。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだった。お前達の関係に気付いたのも、そのときさ。…あの人にとってお前の存在は、本当にでかいんだな」

 ……。

 平太は千影の言葉を聞き終わると、無言で半助の眠る部屋の方へと歩き出した。

 「どこへ行くんだ?」

 「……」

 「おいおい、まさか怪我人の寝込みを襲おうってんじゃねぇだろうな…」

 「あんたと一緒にすんな!…寝顔を見てくるだけだ」

 こんな話を聞いてしまったら、半助の顔を見たくてたまらなくなってしまった。

 「寝顔を見るだけ、ね。一年半ぶりで、本当にそれだけで我慢できんのか?」

 すっかりいつもの調子に戻った千影が、にやにやと下世話な笑みを浮かべる。
 それを綺麗に無視し、平太は愛しい人が眠る部屋へ再び戻っていった。
 内心で、千影の言葉に深く溜息をつきながら。




 結局半助は、丸一日眠り続けた。
 そして次に目が覚めたとき、半助は自分を覗き込んでいるその顔に目を丸くした。

 「………た……立花!?」

 それは、六年の立花仙蔵だった。

 「土井先生、目を覚まされましたか。具合はいかがですか?」

 「あ、ああ…。だいぶよくなった気がする…けど…、どうしてお前がここに?」

 「多紀先輩から学園長先生の所に文が届いたんです。しんべヱと喜三太を迎えに来てほしいと」

 「それで、お前が?」

 「ええ…」

 仙蔵が神妙な顔で頷いた。
 仙蔵としんべヱと喜三太の奇妙な関係を知っている半助は、複雑な気持ちで苦笑する。

 「こんなところまで来てもらって、悪かったな」

 半助のすまなそうな声に、仙蔵ははっと顔を上げ、ぶんぶんと首を振った。

 「いえっ、私も久しぶりに多紀先輩にお会いできて、よかったです」

 「ならいいんだけど…」

 とそこに、旅支度を整えたしんべヱと喜三太が「土井せんせぇ〜。目が覚めたぁ〜?」と嬉しそうに駆け寄ってきた。

 「ああ。お前達にも心配かけたな」

 「ううん!あのねっ、ぼく達、立花先輩と一緒に帰らなきゃいけなくなっちゃたんですけど、土井先生が寂しいといけないから、ぼく、ナメ子を代わりに置いていくことにしました!」

 「…え…」

 半助が固まっている傍らで、喜三太は「ナメ子!土井先生を頼んだぞ!」とナメ子と思われるナメクジに話しかけている(半助にはナメ吉との違いはわからない)。

 「ぼくからはこれ!昨日小夜さんにもらったおまんじゅう、先生が目が覚めたときにお腹が空いてるんじゃないかなって思って、食べないで取っておいたの。先生にあげる〜」

 しんべヱはそう言って、大量の涎をぼたぼたと饅頭の上に垂らしながら、にこにこと両手でそれを差し出した。

 「…あー…」

 寝起きのため半助の頭が目前の出来事を処理しきれないでいると、すかさず仙蔵が割り込んできた。

 「喜三太!お前と離れるとナメ子が可哀想で、土井先生は胸が痛んでとても気が休まらないそうだ。だから、ナメ子も一緒に連れて帰ろうな。それから、しんべヱ!土井先生は怪我をされていて、お饅頭を食べることができないんだ。だから、しんべヱが先生の代わりに食べてくれると嬉しいなと仰っているぞ」

 おお…。
 その見事な采配に、意外といいコンビかもしれない…と仙蔵が知ったら怒り狂いそうなことを思いながら、半助は布団の中から三人の賑やかな出発を見送った。






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