「よかったねぇ、喜三太!」
「うん!」
上機嫌な生徒二人の隣に座り、半助は今、真っ赤な顔で項垂れていた。
「……あの……すみません……。お仕事中にお邪魔をしたばかりか、お食事まで御馳走になってしまって……」
あの後。
半助と平太が向かい合って呆然としている間に、喜三太は驚異的な速さで土間の隅で寛いでいたナメ吉を発見し、確保した。
そしてはっと我に返った半助が見たものは、しんべヱがナメコ汁の鍋を両手に持ち、満面の笑顔で「いっただっきま〜す!」と一気に口に流し込んだ姿であった。
「いいってことよ!大事な仕事仲間の先生をもてなすのは当然のこった」
囲炉裏の向かい側で、飯を掻きこみながら千影が豪快に笑う。
その笑顔に、半助の頭はますます下がってゆく。
――何より最低なのは、この俺だ。
散々見つめ合った末に、名前まで呟いてしまうなんて。
千影さんが敵じゃなかったからよかったようなものの、生徒が一年半かけた大事な大事な仕事を、俺が一瞬で全て台無しにしかねないところだった。
だがあの瞬間はそんなこと、まったく考えられなかったのだ。
…学園に戻ったら、は組と一緒に一から修行のし直しだ…。
「先生も遠慮なさらず、どんどん召し上がってくださいね。こんなものしかお出しできなくて申し訳ないけど…」
恐縮しまくっている半助に、小夜が心から申し訳なさそうに皿をすすめる。
「いえっ。とても美味しいです」
半助は慌てて顔を上げ、にこりと笑った。
…なに頬を染めてやがる、旦那がいるくせに。てゆーかそれ、作ったの千影だろ。
半助の“あの笑顔”で正面から微笑まれ、ぽっと頬を染めている小夜を横目に、平太は歯噛みした。
一年半ぶりの思わぬ再会を果たしてから、双方の紹介を済ませ、互いの事情を打ち明け(もちろん仕事上の詳細な部分は省いているが)、そのまま流れで昼飯を囲むことになった現在に至るまで、平太は半助と一度も二人きりで話せていなかった。
半助に触れたい、抱き締めたい、口付けたい。
そんな口には出せない想いばかりが頭の中でぐるぐるとまわり、一人葛藤していると。
「せんせぇ〜。それ、食べてあげる〜」
「あ、ああ」
しんべヱという丸々太った少年が、半助の皿から磯辺揚げを摘み上げ、幸せそうにぱくんっと口に放り込んだ。
半助は苦笑しながらもほっとした色を浮かべ、それを見ている。
その光景に、相変わらず練り物が苦手なんだな、と思わず平太が微笑むと、半助がふっとこちらを見た。
二人の目が合う。
「「……」」
次の瞬間、半助はぱっと視線を逸らしてしまった。
…ああもう!
やっぱり半助と話さないと!と立ち上がろうとしたところで、平太はニヤニヤと自分に向けられている嫌〜な視線に気がついた。
千影である。
「……なんだよ」
「いんや、別にぃ」
平太が睨んでも、千影は変わらずニヤニヤと意味ありげに笑っている。
「気持ち悪ぃ顔で笑ってんじゃねぇ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「言っていいのか?」
「……」
……勘の鋭い奴……。
明秀といい千影といい、どうして自分の周りはこんな人間ばかり集まるんだ。
「お前の先生、可愛いな」
「……」
明らかな挑発を、平太は飯を食うことで無視した。
すると、千影の矛先は半助へと向かう。
「先生は、ご結婚は?」
唐突な質問に半助はぱちりと瞬き、それから苦笑した。
「いえ、まだ…」
「でも、お付き合いされている方はいらっしゃるんでしょう?先生、カッコいいもの!」
どこまで冗談かわからない口調で、小夜がきっぱりと言う。
今度は千影が苦笑する番だ。
いい気味だぜ、と平太は思った。
「いえ…」
半助は困ったように苦笑いを浮かべている。
そもそも半助はこういう話題自体が苦手なのだ。
適当に流せばいいものを、それができない所も相変わらずだった。
平太が話題を変えようと口を開きかけたとき、それまでずっと食べることに集中していたしんべヱが突然「土井先生はねぇ〜」と言った。
「山田先生がどんなにお見合いの話を持ってきても、ぜんぶ断わっちゃうんです。ねー、喜三太?」
「うん!山田先生この前も、半助は一生結婚しないつもりでしょうか?って学園長先生に泣きついてたよねー、しんべヱ?」
ほぉ…、と千影が再びににやにやと平太を見る。
と、この話題に一番いたたまれなかったであろう半助が、とうとう自ら話を切り上げた。
「お前達、もう食い終わったのか?なら、そろそろ出発するぞ」
「ええ〜。もう〜?」
「もうちょっと、休んでいきましょうよ〜」
ふにゃりと眉を下げてぐずぐずと文句を言い出したふたりの頭を、半助はぽんぽんっと軽くはたく。
「だーめ!そろそろ出ないと宿に着く頃には真っ暗になるぞ。それに千影さん達は大事なお仕事があるんだから、ご迷惑だろ?」
一年生とはいえ、そこは忍たま。
“仕事”という単語が出ると、途端に二人とも「は〜い」と聞き分けよく返事をし、立ち上がった。
慌てたのは平太である。
「ちょっ、待…っ」
気付いたときには、平太の手は半助の着物の袖をしっかりと掴んでいた。
全員の視線が平太に集中する。
「あ……えーと……その……」
思わず引き止めてしまったが、続く言葉が浮かばない。
しーん、と妙な沈黙が部屋に流れた。
そのときである。
肌を突き刺すような強い殺気とともにキィィィンッと高い金属音が響き、半助が「伏せろ!」と鋭く叫んだ。
ガタンッと千影が窓を下ろす。
途端に薄闇となった床の上で、黒々とした手裏剣が鈍い光を放っていた。
先程の金属音は半助がそれを弾き返した音だったのだと、平太はようやく気付いた。
「……まさか真っ昼間から襲ってくるとは、ね」
押し殺した息遣いの中で、小夜が苦笑とともに呟く。
「よっぽど自分達の力に自信があるんだろ。奴らの諜報力を甘く見すぎたな。……すまねぇ、先生。あんた達を巻き込んじまった」
「いえ。そんなことより、今をどう切り抜けるか、です。…囲まれてますよ」
「ああ…」
気配は、表に三名、裏に三名。
計六名の忍びが、この屋敷を取り囲んでいた。
「捌けない人数じゃないが…」
千影の呟きに、半助は静かな声で一言、「やりましょう」と返した。
どちらにしろ、それ以外に選択肢はない。
半助は腕の中にいる二人の生徒に、柔らかな声で話しかけた。
「しんべヱ、喜三太。よーく聞けよ。お前達は何があってもここでじっとしてるんだ。私がいいと言うまで絶対に外に出てきちゃだめだぞ。わかったか?」
二人は真剣な表情で半助の顔をじっと見つめ、それからこっくりと頷いた。
半助は「よし」と微笑んで、二つの頭をごしごし撫ぜる。
さっきまで震えていた子供達が、今はしっかりした目に戻っていた。
子供達だけではない。
半助の静かだが凛とした声は、場の空気に不思議な落ち着きを与えていた。
「…先生、あんた、不思議な人だな」
「?」
千影の言葉に、半助はきょとんと首を傾げた。
「いや…、なんでもねぇ。それじゃあ悪いが先生、平太と裏を頼む。俺と小夜は表を片付ける。俺が合図をしたら、同時にいくぞ」
半助、平太、小夜は無言で頷いた。