長く留守にすることになる家を最低限に片付け、必要な荷物をまとめ全速力で駆けてきたが、それでも忍術学園に着いたのは日付が変わるほんの少し前だった。
 呼び鈴を小さく鳴らすと、殆ど待つことなく、まだ寝ていなかったらしいヘムヘムが戸を開けてくれた。
 突然の訪問者に目を丸くしているヘムヘムに、平太は半助への言伝だけを託し、自分はそのまま裏山へ向かった。


 眼下に、月明かりに照らされた忍術学園の建物が見える。
 長屋からは、所々微かに灯りが漏れていた。
 まだ起きている生徒がいるのだろう。
 俺と明秀もいつも夜が遅かったな、と平太はここで生活していた頃の自分を思い出して、笑みを浮かべた。
 ほんの半年前のことなのに、随分昔のような気がする。


 ほどなくして、夏休みに会ったばかりの恋人が駆け寄ってきた。

 「平太!」

 もう寝るところだったのか、忍服姿ではなく、浴衣に上着を羽織っている。
 平太は微笑み、駆けてきたせいで上気している頬に掌で触れた。

 「こんな時間に呼び出して、すみません」

 「そんなことは構わないが…どうしたんだ?急に来るなんて」

 戸惑いの中にも、思いがけず会えて嬉しいという想いがはっきりと表れている半助の笑みに、そんな顔で笑うなんて反則だ、と平太は思った。
 この笑顔をこれから一年も見ることができないなんて……。
 くそ、やっぱり今からでも断るか!?と、半ばヤケ気味に平太は半助の体を引き寄せ、きつく腕の中に抱き締めた。

 「…平太…?」

 「……ん……」

 風呂上がりでしっとりと濡れた髪に、顔を埋める。
 優しい、匂い。

 「……こうしてると、卒業する前に戻ったみたいだ……」

 「平太…。ほんとうに…どうしたんだよ」

 「……」

 平太はぎゅ、と腕に力を込めた。

 「……ついこの間まで…朝も夜も半助の顔を見ていられたのにな……」

 半助はしばらく無言でじっとしていたが、それから視線をそっと足元の大きな風呂敷包にやり、平太を静かに見上げた。

 「……どこかへ……、行くのか…?」

 「……」

 無言の返答に、半助の瞳がほんの一瞬かすかに揺れる。

 「…どれくらい…?」

 「……一年……」

 「………そう」

 半助は、それ以上は何も尋ねてこなかった。
 話せる内容でないことを誰よりも知っているからだ。
 そんな半助に、やっぱり駄目だ、と平太の心が叫ぶ。
 自分達の仕事は、普通の仕事ではない。
 いつ何があっても不思議ではないのだ。
 それなのに一年も離れることなんか、できるわけがない。

 「半助、俺、やっぱり…っ」

 「行っておいで」

 平太の言葉を遮って、半助が静かに言った。
 平太は半助の顔をじっと見つめる。

 「……」

 「やりたい仕事なんだろう?」

 「だけど…」

 「それなら、やるべきだ」

 半助は淀みなくきっぱりと言い、それから柔らかく微笑んだ。
 優しい月明かりのような笑顔で。

 「大丈夫。俺は、ずっとここにいるから。ここで、待ってるから」

 「……」

 「だから、安心して行っておいで」

 「っ…」

 平太は半助の体をぎゅっと強く抱き締めた。

 半助と一緒に生きていく。

 それが、平太のただひとつの望みだった。
 そのためには。
 半助に守られているだけの今の自分では駄目だということは、平太自身が一番よくわかっていた。

 強く、ならなければならない――。


 「……時間は…?」

 何も言わずに抱き締める平太にじっと身を任せていた半助が、そのままの体勢で小さく囁く。

 「……あと……一刻位……」

 言葉にならない想いに潰されそうになりながらどうにか答えると、半助が腕の中からまっすぐに見つめてきた。

 「一刻、あるんだな…?」

 「え…、は、半助…!?」

 半助は突然体を離し、平太の手を掴んで、森の奥へと歩きだした。
 一体、何処へ行こうというのか。
 無言のままきつく平太の手を握り、真っ暗な木々の間を進んでゆく。
 やがて闇の中に、小屋らしき影が姿を現した。
 平太がいた頃にはなかったものだ。

 鍵はかかっておらず、半助が軽く押しただけで扉は開いた。
 中は意外に広く、床にどさりと積まれた新しい干し草の匂いがしていた。
 他にはいくつか木箱があるだけで、何もない。

 ぱたん、という音に振り返ると、半助が扉を閉めたところだった。
 今夜は満月に近いため、高めの位置につけられた小窓から月明かりが射し込み、半助の表情もはっきりとわかる。

 「ここ、新しく作ったんですか?」

 「ああ」

 「学園の?」

 「そう…」

 半助は言葉少なに返し、じっと平太の顔を見つめた。

 「平太…」

 それ以上は、何も言わなかったけれど。
 平太は半助の目を数秒見つめ返し、干し草の上にその体を押し倒した。

 口付けを交わしながら、急いた指先で互いの服を脱がせ合う。

 「背中、痛くない…?」

 月明かりに照らされた白い肌に口付けながら平太が問うと、半助は息を弾ませ、首を振った。

 「ん…大丈、夫…」

 それから、すこし可笑しそうにくすりと笑う。

 「冬になる前で、よかったな…。真冬だったら、寒くてとても使えない……ン…っ」

 言葉はすぐに吐息へと変わり、やがてその唇からとめどなく喘ぎが零れ始める。
 すっかり知りぬいている半助の感じる場所ばかりを、平太は攻めた。

 「っ…へいた……へいた……」

 名を呼びながら全身で平太を求める半助に、愛おしさと切なさでいっぱいになりながら、平太はきつくその体を掻き抱いた。
 その声も、吐息も、肌の熱さも、記憶の奥に深く刻み込むように。






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