その依頼が平太の元に舞い込んだのは、高く澄んだ空と涼やかな風が秋の気配を運び始めたある晩のことだった。
 ここ数週間ほどかかりきりだった仕事を終え、ひさしぶりに力を入れて作った夕餉を並べ、いただきます!と手を合わせたところで、「多紀平太殿の家はこちらか?」という声が戸口からかかったのだ。




 「我が殿から直々のご指名だ。よもや断るなどということはあるまいな」

 名を聞けば誰もが畏れるその城、クロサギ城からの使者は、そう言って目を細めた。
 使者といっても、武士ではない。忍びである。
 平太と違うのは、フリーではなく、城勤めであるという点だった。

 「それはこれから聞く話によるけど、えっと、飯食いながらでもいい?」

 せっかく作った飯が冷めてしまうではないか、と平太は気が気ではない。

 「ああすまん、食事中だったな。食いながらで構わん。…しかし、一人のくせに随分豪勢な食事だな」

 「俺は料理が趣味なんだ。あんたも食う?」

 「もらおう。昼飯をぬいたから腹が減ってたまらん」

 そう言って気さくに笑った顔を改めて見て、意外に若いんだな、と平太は思った。
 おそらく半助と同じぐらいだ。
 平太は男の前にとんっと箸と皿を置き、面白そうに笑った。

 「忍びの作る飯を平気で食うなんて、いい根性してるな、あんた」

 「明日から共に寝起きすることになるんだ、疑っていては身が持たん」

 男はずずっと味噌汁を啜り、一瞬動きを止めた。
 それからゴクンと飲み込み、微妙な表情でじっと椀を見つめている。

 「………この汁だが」

 「なんだよ、毒なんか入れてないぜ」

 「いや、そういうことではなく………まぁいい。食い物の話をしに来たのではない。仕事の話だ」

 それから男が語った話によると、平太への依頼は、一言でいえば“敵方のシラサギ城への潜入”というものであった。
 男と平太の二名が、下人として城に雇われ、情報を収集する。そしてもう一名、くノ一がやはり城下町の商人になりすまし城に出入りする手筈になっているという。
 平太がこれまでフリーとして受けきた仕事の中では、最も大きな仕事だった。難易度や報酬ももちろんだが、なにより依頼主の格が違う。
 なぜそのような大きな城からプロになったばかりの平太に指名があったかといえば、前回の仕事で平太と組んだ忍びがクロサギのお抱え忍者であったらしく、いかに平太が有望な忍びであるかを延々と城主に語った結果、すっかり城主が平太に惚れ込んでしまったのだそうだ。

 「悪い話じゃねえはずだぜ。この先お前がずっとフリーでやっていくつもりなら、城との繋がりは必須だ。うちの城で不足だとは言わせねぇ」

 食事をしながらのせいか、男の口調は随分とくだけたものになっていた。
 そして、男の言っていることは正しかった。
 この仕事の成功が平太の将来にもたらすであろうものは、計り知れない。

 問題は――。

 「あぁ?何を迷うことがあるんだよ」

 即答で快諾すると思っていた相手が、箸を止めてじっと考え込んでしまったので、男は眉を顰めた。
 しかしすぐに、何かを思いついたように顔を上げ、面白そうに平太の顔を見る。

 「…ははぁん。なるほどなー。へへ、そうか、そうだよなあ」

 にやにやと笑う男を、平太は上目使いに睨んだ。

 「…何が言いたい」

 「お前、幾つだ?」

 「…十六だけど」

 「女は?」

 「……」

 「いないわけないよな、お前なら。それだろ?お前が迷ってる理由は」

 「……」

 そのとおりだった。
 男の話では、この任務の期間は一年。
 当然ながらその間平太は全くの別人として生活することになる。
 言いかえれば、家族や恋人との接触は一切許されないのである。

 一年――。
 それほど長い時間を半助と離れていたことはこれまでない。
 そもそも今の関係になって、まだ一年なのである。
 この仕事を受けるということは、それと同じだけの時間をふたりが離れて過ごすということなのだ。
 ただの一度も会うことなく。

 「――お前さ、十六だって言ったよな」

 ずっと飄々とからかうような態度を崩さなかった男から不意に出た真面目な声音に、平太は俯いていた顔を上げた。
 男が、じっと平太を見る。

 「強くなりたいと、思わないか?」

 「……」

 「言い忘れてたが、俺、クロサギ城で忍頭ってやつをやってんだ。普段は一年も城を空けたりしないんだが、今回は特別さ。それだけ殿がこの仕事を重くみてるってことだ。まあ手下まで引き連れてくと城が手薄になっちまうから、こうしてフリーのお前さんの手を借りることになったわけだが…。で何が言いたいかっていうと、俺と組んで損はさせねえってことだ。賭けてもいい。小せぇ仕事を何百やっても絶対に得られねぇものを、俺はお前に教えてやれるぜ」

 そう言い切った男の目は、確かな自信に溢れていた。

 強く。
 あの人を守れるくらいに、強く――。

 「それともお前の女ってのは、目先の幸せだけでお前の将来も考えることができねぇような女なのか?」

 「…違う」

 「なら、大丈夫だ。離れてる時間なんざ、大した問題じゃねぇ」

 男はきっぱりと言い、今度は弟を見るような目で、平太の頭に手をのせて笑った。



 任務開始は明朝。
 集合場所と時間の指示だけを残し、男は去って行った。






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