■タワー・シスル 〜 ワッピング■

1981年2月――― <<シンクレア>>
 夕刻まで、ジャックは、ワッピングのハイストリートにあるウォーターサイド・ガーデン前の小さな空き地で時間を潰した。十年ぐらい前までは、テームズ沿いにぎっしり並んだ倉庫の街だったが、今はその大半が住宅用に建て替えられつつあり、もう何年も、延々と建設工事が続いている地区だった。もともと商店の一軒もないところだが、そこらじゅうに掘り返された道路に人影はなく、地下鉄駅前の信号機が、ひとりでピカピカ光っていた。
 ウォーターサイド・ガーデンと道路一つ隔てた空き地は、テームズ沿いに並んだ倉庫やアパート群が唯一途切れているところで、芝生と仮設のベンチがあり、コンクリートの手すりごしに、テームズが眺められるのだった。すぐ左手には、水上警察の桟橋が一本延びていて、そこにはランチがつないであることもある。対岸は、バーモンンゼーの倉庫郡。空き地の両側が建物で挟まれているので、川面から吹き上がってくる風はいくらか緩く感じられ、時間潰しの場所としては、ジャックの気に入っている場所の一つだった。ジャックはベンチに腰を下ろし、テームズを眺めた。


1989年2月――― <<ノーマン>>
・・・曲がりくねった裏小路を走る間に、ジャックは<<伝書鳩>>を見失い、ひとりでフェンチャーチの裏通りまで逃げた。ペチコートレーンの露店街から大して離れていなかったが、騒ぎはすでに遠かった。人けのないさびれた駅近くのアーチの下で、一人の浮浪者とすれ違ったジャックは、身を翻すやいなや男の背にハンドガンのグリップの一撃を加えた。倒れた男のジャンパーをはぎ取って、それに自分のセーターの腕を通しながら、また少し走った。十五分後、ジャックはテームズ沿いに出て、ワッピングのウォーターサイド・ガーデンまで来ていた。昔、お気に入りの居場所の一つだった。八年前と同じく道路は今だに工事中で、新しく建ったアパート群には人影もなかった。

 (高村薫 『リヴィエラを撃て』より)


【アクセス】
※「空き地」へは、
地下鉄Circle/District LineのTower Hill駅下車、徒歩30分。
OvergroundのWapping駅下車、徒歩5分。

私がロンドンにいた2008年当時、「ロンドンのごみ溜めと呼ばれるワッピング地区を生まれ変わらせよう!という活動が住民達の間で始まっている」という特集番組をテレビでやっていました。それを見て、「ワッピングってやっぱり“そういう”地域なのね…」と改めて思ったものです。それからなかなか足を運べずにいたのですが、日本に帰る直前についに勇気を出して行ってみました。
もっともこの辺りは現在ロンドン・オリンピックも兼ねて再開発の真っ最中ですので、“リヴィエラな雰囲気”を味わいたい方はお急ぎあれ!

★Google Map→「Wapping Waterside Gardens」で検索


Tower Hill駅を降りたら、Tower Bridgeの手前で階段を下り、橋の下に出てください。
すると、こんな↑カフェがあります(今もあるかは知りませんが)。
これからの散歩に備え、まずはここで一休みしましょう。

え?もう休むのかって?
だって見てくださいよ、このホットチョコレート!
生クリームた〜っぷりで、すっごい美味しいのですよ。
店員はあんまり感じよくありませんが、これが飲みたくて、ここに来る度につい入ってしまうカフェなのです。
しかも!です。
このカフェが入っている建物こそ、モナガンが手島にピストルを渡したバーのある「タワー・シスル」ホテルなのですよ。今は名前が変わり「Guoman Hotels The Tower」となっています。

タワー・シスル(現Guoman Hotel)と河畔の遊歩道

タワー・シスルは、タワーブリッジのたもとに立つ近代的なアメリカ式ホテルで、テームズ河畔に面している。かつて隣にあったドックは、今はヨットハーバーとなり、周囲は金持ち用のマンションが建ち並んでいるが、そのすぐ向こうは再開発の追いつかないイーストエンドの灰色だった。

この頃から「再開発から取り残されてる」感はあったのか、ワッピング-_-;

橋の袂から見たタワー・ブリッジ

車を駐車場に入れた後、すぐにはバーに入らず、モナガンは手島を誘って川岸に出た。タワーブリッジの黒い巨影までが、風にゆらいでいるようだった。対岸のバーモンジーのわびしい灯火が、残り火のように川向こうの岸に張りついていた。

Guoman Hotelを通り過ぎてしばらくすると、この写真左手の茶色の建物の手前で遊歩道が終わりますので、建物の裏のSt Katherine's Dockを回り込んでSt Katharine's Wayへ出ます。

St Katharine's Wayの橋

かつて隣にあったドック St Katherine's Dock

St Katharine's Wayをそのまま進んでゆくと、やがて名前が変わりWapping High Streetとなります。

St Katherine's Dockからひたすら歩くこと1.5kmKnighten Streetを過ぎた辺りから、それまで面白みのない建物ばかりだったWapping High Streetの風景が突如ガラリと変わります。物騒な雰囲気は変わらずですが、古い倉庫群のなんともレトロで味のある風景が広がっているのです。

この赤い鉄柵を潜り抜けて、30m程歩いた右手にある公園こそ、ジャックの“お気に入りの場所”。

ウォーターサイド・ガーデンと道路一つ隔てた空き地

小説の中で「ウォーターサイド・ガーデン」とある公園は、実際にはWapping Rose Gardensという名前(写真左手)。
「道路一つ隔てた空き地」こそが、Waterside Gardensです(写真右手)。

「空き地」は、想像していたよりもきちんと整備されていました。東屋みたいなものもあったり。
空き地の両側が建物で挟まれている」のは、小説に書かれてあるとおり。

芝生と仮設のベンチがあり、コンクリートの手すりごしに、テームズが眺められる

すぐ左手に延びている水上警察の桟橋

何から何まで小説のままの景色に感動!

1981年にアーチャーの店を爆破した後ベンチで眠っていたジャックにシンクレアが声をかけたのも、1989年にペチコートレーンでシンクレアと再会した後にジャックが訪れたのも、この公園。

Wapping High Street沿いには建物と建物の間に時折細い小道があり、このような趣のある石造りの階段を降りていけば、河岸に出られるようになっています。
この階段自体も非常に歴史があるものとのことで、Wappingの見所の一つになっているそうです(by wikipedia)。

河岸から望む対岸。
なおこの場所はテムズが満潮のときは水の下になってしまいますので、降りていくことはできません(と、先程ネット情報で知りました)。

河岸に降りなくても、Wapping High Streetのテムズ河沿いにはこのようにベンチが置かれ寛げる場所がいくつも設けられています。観光客はここまでは殆ど来ないので、のんびりと夕暮れの風に吹かれてテムズを眺めることができました。





「リヴィエラを撃て」の舞台を訪ねて