■テート・ブリテン■
しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速取り崩す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠箒しゅろぼうきで煙を払うように、さっぱりしなかった。
……
長良(ながら)の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿持って、向島を追懸けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
(『草枕』より)
テート・ブリテン。
1897年にナショナルギャラリーの分室として開館しました。
漱石がここを訪れたときは、まだ真新しかったことでしょう。
ロンドンにはテート美術館と呼ばれるものが2つあり、一つは現代画を中心にしたテート・モダン。もう一つがこちらのテート・ブリテンです。
テート・ブリテンに展示されているジョン・エヴァレット・ミレーのオフィーリア。
漱石が「草枕」で繰り返し述べている絵です。
実物はこの写真よりも野花の色が鮮やかで、明るい色合いをしています。
テート・ブリテンには、漱石が感銘を受けたダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの絵も多数展示されています。
ロセッティは、ミレーとともにラファエル前派を結成した画家。
上の絵は私が特に好きな「ベアタ・ベアトリクス」。
自殺同然の死をとげたロセッティの妻、エリザベス・シダルを描いた作品です。
エリザベスは、ミレーの「オフィーリア」のモデルも務めています。
※ロセッティのアトリエだった家は、カーライル博物館近くのCheyne Walk通りに今もあります。
テート・ブリテンにもカフェがあります。
ナショナルギャラリーのようにお洒落ではありませんが、席数が多いので一休みするのに便利。
ロンドンのカフェには大抵あるこのスープとフランスパンのセットが、大好きなのです。ロンドンの食べ物は噂に違わずひどいものですが、これに限っては外れたことがありません。
テート・ブリテンの目の前を流れるテムズ河。
対岸の左に見える変な形の建物は、イギリス情報部SISの本部。
右のやはり変な形の青いビル群は、テムズ河南の再開発により建てられたもので、マンション等が入っています。
テート・ブリテンの隣にある、Chelsea College of Art and Design。
この辺りから西は、チェルシー地区です。