「ねえ、そこのカッコいい君!」

 放課後、平太が正門前を箒で掃いていると、突然見知らぬ女から声をかけられた。
 今日の正門の掃除当番は、は組である。

 「…俺のことですか?」

 「そう、君のことよ。こっちの彼もかなりイケてるけど」

 女は隣にいた明秀をチラリと見て、もう一度平太に向き直りにっこり笑った。

 「でも私は君の方が好み」

 ――変な女。

 「…何かご用ですか?」

 「ええ。ここに半助はいるかしら?」

 「半助?」

 「ここ、忍術学園でしょう?ここで教師をしているはずなんだけど」

 「土井先生のことですか?」

 「そうそう!その土井先生。取り次いでもらえるかな?」

 「今お呼びしますので、入門表にお名前をお願いします」

 女は筆を受け取ると、さらさらと“筧 彩音”と書いた。

 ――かけい あやね

 しかし平太が呼びに行くまでもなく、丁度半助の方がやってきた。

 「おーい!そこの掃除が終わったらお前達に手伝ってほしいことがあるんだが、、、」

 半助の言葉が、平太の隣にいる女の顔を見て途切れる。

 「、、、、、あ、彩音ぇ!?」

 「半助!!!」

 女は抱きつかんばかりの勢いで、目を丸くしている半助の手をとった。

 「久しぶりね!!会いたかったー!!」

 「ど、どうしたんだよ、一体。こんな所に来るなんて」

 「あー、うん。ちょっと半助に相談があって…」

 「相談?」

 「というか、仕事というか…」

 「ふぅん」

 急に口を濁した彩音に、半助は首を傾げる。

 「とにかくここではなんだし中へ……いや、外へ出よう。着替えてくるから、彩音、ここで待ってて」

 そう言って、半助は自室の方へ走って行った。
 木に背を預け半助を待つ彩音を、は組の面々が遠目から興味津津に観察する。

 「ものすごい美人だな、おい」

 「半助ちゃんとどーゆー関係だろう」

 「んなの決まってんだろ、元カノだよ元カノ!!」

 「ええー、まじで!?」

 「大人の色気ってゆーの?くの一教室の奴らとは全然ちがうな」

 そんな興奮した級友達の声を聞きながら、明秀は目を眇めて彩音を見、呟いた。

 「ただの女じゃないな、あれ」

 平太も頷く。

 「くノ一だ。それも相当できる…」

 すると、明秀がくすりと笑って平太の顔を見た。

 「元気ないな、お前。どうした?」

 「……」

 「気になるんだろ、あの女と半助ちゃんのこと」

 「…うるせーよ」

 明秀は今度は声を出して笑った。




 それから彩音は、連日、授業が終わる時間を見計らうように忍術学園を訪ねてきた。
 半助の話では、彩音は半助の修行時代の仲間で、今はフリーとして働いているということだった。今回依頼された仕事がどうしても人手が足りず、それで半助を頼ってはるばるやって来たのだそうだ。
 学園長は授業に支障がなければ構わないと言ったため、半助も今回だけは特別に手伝うことにした。
 平太が知っている情報は、これだけだった。
 それ以上は仕事に関わるためか半助は話さなかったし、平太も聞くことはできなかった。




 今日も今日とて、授業終了の鐘と同時に彩音がは組の教室に姿を現した。

 「みんな〜、お勉強おつかれさま!」

 「「「彩音さん!」」」

 途端、生徒達の目が輝く。

 「彩音さん、今日もお仕事ですかー?」

 「そうよー。大変なのよー、大人は」

 「おつかれっす!」

 「悪いけどまた、君達の先生を借りるわね」

 「どうぞどうぞ、遠慮なくー」

 今ではすっかりお馴染となってしまった光景を傍目に、平太は早々に席を立った。
 彩音が半助と出かけるのを見るのは、あまり楽しいものではない。

 「あ、平太君!」

 しかし教室を出ようとしたところで、平太は彩音に引きとめられた。
 決してこちらからは近付かないというのに、彩音はこうして何かと平太に声をかけてくる。

 「これ、高田屋のお団子。は組のみんなと食べて。この前店の前を通ったときにね、平太君がここのお団子が好きだって半助が言ってたの。だから買ってきたのよ」

 「…ありがとうございます」

 “半助が”。
 彩音が平太と話すときに何かと“半助”を強調するような気がするのは、平太の気のせいだろうか。
 団子を渡され教室から出るに出られなくなってしまった平太は、結局今日も彩音と半助を見送る羽目になってしまった。

 「じゃあみんな、宿題忘れないようにな!」

 「「「はーい。いってらっしゃ〜い!」」」

 戸が閉まる間際、半助が彩音に話しかけるのが聞こえた。

 「彩音、教室には顔を出すなって何度も言ってるだろ?」

 「いいじゃない。学校って、珍しいんだもの」

 「ったく…」

 かたんと戸が閉められる。

 その後の教室の話題がしばらく彩音づくしなのも、いつものことだ。

 「平太ー。彩音さんの団子、食おーぜ」

 「お前達で食っていいぜ。俺はいらない。なんか疲れたから先に帰る」

 「いいのかよ!やっりー!」

 平太は級友に団子の包みを放って、教室を出た。

 …はぁぁ。
 ああもう、気分がむしゃくしゃする…。





 夜になり、夕餉を終えて食堂を出たところで、平太は帰ってきたばかりの彩音と半助にばったり出会った。
 彼らが、こんな早い時間に戻るのは珍しい。
 それに彩音は町に宿をとっているらしく、学園へ一緒に戻ってきたのは初めてだった。

 「お帰りなさい」

 平太が言うと、半助は明るく笑った。

 「ああ、ただいま。もう夕飯は食ったのか?」

 「ええ。先生はこれからですか?」

 「うん。俺が食堂のおばちゃんの話をしたら、こいつがどうしても食べるって聞かなくて…」

 そう言って、半助は困ったように隣の彩音を指差した。

 「毎回仕事が終わった途端に“腹減ったー。食堂のおばちゃんの飯ぃー”って言われ続けたら、気にならない方がおかしいわよ。ねぇ、平太くん?」

 「毎回なんか言ってないだろ」

 「あら、言ってるわよー」

 ………。

 あぁ、まただ、この感じ…。
 俺ってこんなに心が狭かったっけ?
 だが面白くないものは面白くないのだから仕方がない。

 「ね、早く行こう。お腹空いちゃった」

 そうして腕を絡めようとした彩音に、だが半助は極めて自然にそれをかわし、「彩音」と呼んだ。

 「俺、ちょっと平太と話があるから」

 「それなら、待ってるわよ」

 「いや、悪いけど、先に行っててもらえるか?すぐに行くから」

 言葉は柔らかいが有無を言わせない口調で、半助は言った。

 「…わかった」

 彩音はまだ何か言いたそうだったが、すぐに、諦めたように食堂の方へ歩いて行った。
 それを見届けて、半助が軽く息をつく。

 「仕事、大変?」

 平太が聞くと、半助は苦笑した。

 「んー、まぁな。でもあいつとは何度も組んでて慣れてるし、大丈夫だよ」

 「そっか…。あまり無理すんなよ」

 「ああ。…それより」

 半助は、何か言いたそうに平太の顔を見た。

 「ああ、俺に話があるんでしたっけ。何ですか?」

 「いや…。なんかお前、最近元気がないみたいだから……」

 「…そんなことないですよ。先生の気のせいじゃないですか?」

 だが、半助はすぐに否定した。

 「気のせいじゃないよ。俺、お前のことはわかる」

 俺のことがわかる?
 それなら…、理由だってわかるんじゃないのか…?

 「本当に大丈夫ですから、心配しないでください」

 意識せず強い口調になってしまった平太に、半助は少し眉を上げ、そして黙った。

 「……この仕事が終わったら時間が作れるから、一度、ゆっくり話そう。いいな?」

 「…はい」

 半助が去った後、山から吹きつける強い風が音を立てて木々を揺らした。
 もう二月も終わるというのに、春の気配はどこにも見られない。

 寒いな…。
 
 思わず漏れた溜息が、白く夜の闇に溶けた。







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