「兄貴ー、はやく!年が明けちゃうよ!」
「ああ、今行く。ったくせっかちなんだから・・・」
平太が上着を羽織って表へ出ると、妹の舞が妙にめかし込んだ格好で待っていた。
“年明け一番に初詣に行きたい”と言い出した舞に、夜道を心配した母親が平太に付き添うよう頼んだのは、夕食時のことである。
「そんなの着たって、どうせ真っ暗で誰にも見えないぜ」
「いいの!兄貴なんかに女心はわからないんだから、放っておいて」
“女心”・・・ねぇ。
「ふーん」
「な、なによ・・・」
「お前、好きな奴でもできた?」
「う・・・うるさいなーっ。兄貴には関係ないでしょ!」
図星か。
年明け早々の初詣というのも、どうせ乙女趣味な願掛けに違いない。
この寒い中付き合わされるこっちは、全くいい迷惑だ。
舞の唇には、薄く紅が引かれていた。
平太の帰省土産である。
帰宅した平太に包みを放られた舞は、中から出てきた紅に目を丸くし、それからひどく喜んでいた。
「つけたんだな」
唇に視線をやった平太に、舞は少し照れた顔をした。
「う、うん。・・・どう、かな?」
さっきまでの威勢はどこへやら。
急に大人しくなり上目づかいに窺う妹に、平太はくすりと笑う。
可愛らしい色にしすぎたかと少々心配だったのだが、やはりどんなに背伸びしてもまだ十二。
これくらいの色でちょうどよかったようだ。
「可愛いよ。さすがは俺の妹だぜ」
素直に褒めてやると、舞はぽっと頬を赤くして、ぱたぱたと駆けるように数歩先へ行ってしまった。その幼い様子に、やっぱりまだ女というよりは子供だな、と平太は口元を綻ばした。
そして、のんびりと後を追いながら、もう少し大人な色を自然とつけこなしていた恋人の顔を思い出す。
今頃、何をしているだろう。
蕎麦はちゃんと作ったかな。
先生、ずぼらだからな・・・。
やっぱり俺が残って作ってやるべきだったか。
一人で、寂しい思いをしていないだろうか。
一緒に、いてやりたかったな・・・。
と、ほんの数日前、腕の中に抱きしめた体温を、平太はリアルに思い出した。
初めて知った、半助の肌の熱さ――。
途端にやり場のない熱が体の内に生まれそうになり、平太は慌ててそれを抑え込む。
はぁぁぁ・・・。
思わず長い溜息が出た。
抱かなければよかったとはもちろん思わないが、半助の直接の温もりを知ってしまった今では、この遠く離れた距離がもどかしくて仕方がない。
ゴー・・・ン
鐘の音がだんだん近づいてくる。
こんな田舎の村でも初詣に行く者は意外に多く、寺へと続く一本道は参拝客で溢れ返っていた。
「おい、舞。あまり離れんなよ。こんな中で迷子になられたら探せない」
相変わらず先をゆく妹に声をかければ、
「子供扱いしないで!」
という声が返ってきた。
「子供じゃないから心配してんだろ。その辺の暗闇に引き摺りこまれて襲われたって知らねーぞ」
と脅すと、舞は慌てたように振り返り、大人しく隣に並んだ。
深々と冷え込む空気に、平太は再び半助を思う。
先生、寒がりだけど大丈夫かな。
今頃一人で震えていないだろうか。
俺が傍にいれば、温めてやれるのに。
あーあ。
会いたいなぁ・・・。
そのとき。
ゴー・・・ン
「あけましておめでとう、兄貴!」
「・・・え?」
突然かけられた言葉に、平太はきょとんとした。
「何ぼーっとしてんのよ。年、明けたよ!」
周りを見回すと、なるほど、そこかしこで新年を祝う挨拶が行き交っていた。
・・・・・煩悩まみれで年を越してしまった・・・・・。
除夜の鐘には全く効果がないということを、平太は今、身をもって知った。
それから呆れるほどの長蛇の列に並び、ようやく本堂へと辿り着く。
賽銭を投げ入れ、ふと隣を見ると、舞が熱心に何かを祈っていた。
どうせ先ほど言っていた男のことに違いない。不純な奴め。
もっとも平太も全く人のことは言えない。
しっかりと両手を合わせて、目を閉じる。
今年はもっともっと先生といちゃいちゃできますように。
先生を守れるくらいもっともっと強くなれますように。
俺が卒業しても、先生に変な虫がつきませんように。
来年は先生と初詣に来られますように。
先生が・・・
「兄貴!いい加減にしないと後ろの人の迷惑だよっ」
来年のことまで願いが及んだあたりで、舞に腕をひかれる。
「ちょっ。あと一個だけ!」
平太は慌てて再び手を合わせ、目を閉じた。
今年一年、いやこれからもずっと、先生の太陽みたいな笑顔が守られますように!!
みんなの幸せを祈る半助と、半助(と)のことだけを祈る平太がポイントです。