(〜〜〜〜〜っこの問題は先週教えたばっかりだぞ…!!)

 ここは忍術学園の職員室。
 答案用紙を前に、涙目でうなだれる青年が一人。
 筆を持つ右手がぶるぶると震えている。

 彼の名は土井半助。
 二十二歳、独身。
 この春採用されたばかりの、新米教師である。
 始めは高学年の方が教えやすいじゃろう♪という学園長の鶴の一声により彼が任されたのが、六年は組の教科担当だった。いくら教えやすくても新米の自分が最高学年を受け持つのはいかがなものかと不安をみせた半助に、その点は実技担当にベテラン教師をつけるから全く問題はない!と学園長はからからと笑ってみせた。

 最上級生である六年生は、確かに下級生達より色々な面において大人だった。よく後輩達の面倒をみ、リーダーシップもだいぶ板についている。実習により磨かれた実技の腕も大したものだ。そして教科だって、教師に言われるまでもなく進んで勉強している。

 ただし───。

 (は組以外はな……!!)

 半助は心の中で叫んだ。

 最初の学園長の説明では、クラス分けは成績とは無関係ということだった。だがどういうわけか、は組には座学嫌いの生徒たちが揃ってしまっていたのだ。いわゆる「頭より体で覚える」タイプである。
 そんなは組の担任である半助に、着任早々からニヤニヤネチネチと嫌味攻撃を送り続けてきたのが、六年い組教科担当の安藤であった。
 『土井先生も大変ですなあ。いや、同情します。それに比べると、うちのい組は……』
 どんなに出来の悪い子供でも、他人から馬鹿にされれば腹が立つのが親心。
 だから半助は決意した。
 見てろ安藤!!中間試験では目のもの見せてやる!!!
 大人しい顔をしているが、負けず嫌いなのである。
 それから半助は頑張った。本当に頑張った。授業の準備のためには徹夜も厭わず、授業中に余所見する生徒へ投げるチョークも今では百発百中の腕前だ。

 そして迎えた本日の中間試験。
 半助が今採点しているものこそ、その答案用紙である。

 「………」

 (……俺、教師に向いてないのかもしれないな……)

 半助はガックリと肩を落とした。

 (うぅ、胃が……)

 問題児ばかりの組を一年目で担当してしまった半助のストレスは並大抵でなく、今では恋人ならぬ胃薬なしでは一日も生きられぬ体となってしまっていた。

 今日も今日とて胃薬に手を伸ばす彼の耳に、バタバタバタッと廊下を駆けてくる足音がひとつ。部屋の襖は開け放したままだ。

 「土井先生!」

 現れたのは、多紀平太。
 六年は組の学級委員長である。

 「廊下を走るな!いつも言ってるだろ?」

 「はーい」

 「伸ばさない!」

 「はいっ」

 悪びれもなく笑う平太に、こいつ絶対わざとやってるよな…と思いつつ、半助は苦笑する。時々こうして新米の半助をからかうのが、この学級委員長の楽しみらしい。

 学級委員というと普通は優等生タイプがなるものだが、は組の場合は少々事情が違った。多紀平太は、良くも悪くもは組の典型のような生徒だった。
 彼が学級委員に選出されたとき、着任して間もなかった半助は、他に適任がいるんじゃなかろうか?と不思議に思ったものだ。実技はともかく、学業成績の方では、もっと優秀な生徒がは組にもいる。”は組カラー”の平太は明らかに実戦タイプだった。
 しかし、平太はクラス投票で全員一致で選ばれた。愛想はいいが、特別に面倒見がいいわけではない。進んでリーダーシップをとるタイプでもない。にもかかわらず、彼は不思議な人気があった。下級生達にも懐かれており、よく相手をしている彼の姿を半助はしばしば見かけた。平太が六年間学級委員をしていたことを知ったのは、後のことだ。

 と、半助の頭に今しがた採点したばかりの平太の答案が浮かぶ。

 (……う……また胃が………)

 「どうかしましたか?」

 黙って腹を押さえた半助に、平太が首を傾げた。

 「いや…。それで?何か用か?」

 「ええ。学園長先生のお部屋の掃除が終わりました」

 「ああ、今日はお前達が当番だったな。ご苦労さま。もう帰っていいぞ」

 「はい──」

 しかし平太は立ち去ろうとしない。

 「ん?まだ何かあるのか?」

 「…あのさ」

 平太は半助がしっかと握りしめている胃薬の袋にちらりと視線をやると、半助の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑った。

 「あんまりストレス溜めてると禿げるぞ。ほどほどにしとけよ?」

 「!」

 半助の顔が真っ赤になる。

 「〜〜〜誰のせいだと思ってんだ!誰の!!」

 だが、新米教師の怒号なんて知れたもの。

 「ははっ。またな、先生」

 平太は笑って受け流すと、来たときと同様、風のように走り去った。

 「こらあー!廊下を走るなー!」



 (…ったく…。だが、後輩の前では先輩ぶっていても、まだまだ子供だよな)

 そんな彼らを可愛いと感じてしまうのだから、どうしようもない。何だかんだ言っていても、半助は生まれながらの教師体質だった。
 俺って甘いなーと胃をさすりさすり薬を飲み干していると、先程のやり取りを楽しげに見ていた同僚の山田伝蔵が笑って声をかけてきた。

 「お互い苦労しますな。ま、これも《は組》を受け持った宿命というやつですか」

 彼は六年は組の実技担当で、子供のような年齢の半助を日頃から何かと気にかけてくれていた。

 「そういうことですかね」

 半助も苦笑を返す。

 「ところで土井先生は、この休みはどう過ごされるおつもりですかな?」

 筆を動かしながら、伝蔵が聞く。
 忍術学園では、中間試験の翌日から三日間ほど授業が休みとなる。
 遠方出身の生徒は学園に残るが、それ以外は自宅へ帰る者も多かった。

 「私は独り身ですから家族サービスもありませんし、家でのんびり羽を伸ばしますよ。春以来帰っていないので、まず掃除して、布団を干して、ああせっかくだから忍服もまとめて洗濯するかな」

 気付くと、伝蔵が呆れたように半助を見ていた。

 「土井先生……あなた、今年二十二でしょう?掃除をしてくれる彼女の一人や二人、おらんのですか?」

 「残念ながら、おりませんねぇ」

 「おりませんねぇって…。そんな悠長なことを言ってると、あっという間に爺さんになっちまいますよ。それでなくたって我々の職業はいつ何が起こるかわからんのです。悪いことは言いません、はやく嫁さんをもらうことです。アテがないのなら、私が一肌脱ぎましょう。そうだ、たしか妻の親戚にひとり気立てのいいお嬢さんが…」

 一人でどんどん話を進めてゆく伝蔵に、半助は慌てて、しかしきっぱりと言った。

 「私はまだそんなつもりは全くありませんよ。結婚は、教師として一人前になった後、と決めています」

 「そうですか?……うーん。もったいないですなあ。先生はいわゆる母性本能をくすぐるタイプですからな。もそっと身なりを整えてその気になれば、相手などいくらでも見つかるでしょうに」

 ま、私ほどではないでしょうがな!と豪快に笑う伝蔵に、半助もくすくすと笑った。



 ひとしきり笑うと、伝蔵はふと筆を止め、中庭に視線を流した。

 「しかし彼らももう六年ですか。ついこの間入学してきたと思ったら、早いものだ。来年の春には、卒業ですな」

 「そうですね……」

 「土井先生。手塩にかけた生徒達が立派に巣立っていくのを見送るのは、寂しくもありますが、やはり嬉しいものです」

 「ええ、わかります」

 「ですがね、それだけじゃない。…ここが忍術学園だからです。彼らはここを出て、プロの忍者になる。それがどういうことか、土井先生ならようくご存じでしょう」

 「………」

 遠くで遊ぶ子供たちの声がきこえる。

 「私はね、土井先生。時々思うことがあるんです。あの子達がずうっとこの学園にいられたら……とね。教師失格かもしれませんがね」

 そう言って苦笑する伝蔵の横顔を見ながら、そういえば山田先生の息子さんも今年十五になると言っていたな……と、やはり忍者を志しているというまだ見ぬ少年を半助は思った。








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