その夜。
寝床を抜け出した平太は、裏庭でひとり、月を見ていた。
昼間は賑やかなこの付近も、今はしぃんと寝静まっている。
学園を卒業し、平太がフリーとして仕事をするために拠点とする家を探していたとき、半助はこの家に住めばいいと言ってくれた。どうせ滅多に帰らない家なんだから好きに使っていい、と。
その申し出を断ったのは、平太だ。
あれから二年以上が過ぎた今でも、半助は平太にとって変わらず、いやさらに大きな目標となっていた。
早く、追いつきたい。
そして、堂々と肩を並べて共に歩んでいける存在になりたかった。
そのためには、半助の家に住むのでは駄目だった。
今の平太では、まだ駄目なのだ。
まずは自分自身の力で、しっかりと生きていけるようにならなければ――。
とはいうものの。
よもや半助の家に自分以外の誰かが住むことになろうとは、平太は夢にも思っていなかった。
だから半助からその話を聞かされたときは、言葉を失うほど驚愕したものだ。
正直にいえば、がっくりきた。
それだけ、半助といちゃいちゃできる時間が減ってしまうからである。
しかし。
「まったく、な」
平太は小さく呟いて、苦笑した。
きり丸は、半助に本当によく似ていた。
境遇だけでなく、その心の真っすぐさも、人の感情に敏感なところも、そして何があっても失われることのなかった優しさも。
と。
背後でかたりと微かな音がし、見ると、半助が戸を開けて外へ出てくるところだった。
「あいつは?」
「ぐっすり眠ってるよ。アルバイトで疲れたんだろう」
「そう」
半助は平太の隣にやってきて、同じように月を見上げた。
そしてその姿勢のまま、小さく囁く。
「平太、さっきはありがとうな」
「俺は何もしていませんよ」
「…きり丸は、嘘を言ってもすぐに見破ってしまう。大人の感情にすごく敏感なんだ。お前は、子供相手だからっていい加減な言葉で誤魔化したりしないだろう?あの子にはちゃんとそれがわかったんだよ」
今はここにいない少年を思い浮かべたのだろう、半助が優しく微笑む。
「…半助」
平太は、半助の方に向き直った。
「ん?」
「俺が今、あなたと一緒に住まないのは…」
「わかってるよ」
半助はまっすぐに平太の目を見て、穏やかに言った。
「お前だけじゃない。俺だって、お前のことはちゃーんとわかるんだよ」
「……」
「だ・か・ら!お前はそんなことは気にせずに、お前の思うとおりに、納得いくまで頑張ってこい!!」
ばしんっと思い切り背中を叩かれる。
平太は、呆然と半助の顔を見つめ――。
「っ半助……!!」
込み上げる想いのままに、両腕で力いっぱいその体を抱き締めた。
苦しいほどの愛しさがあふれてきて、たまらなくなる。
ぎゅうぎゅうと抱きつく平太に、半助はあははっと笑い声を上げ、それから急に何かを思い出したようにばっと両手で自分の口を塞ぎ、家の方を窺い見た。
そこは変わらずしぃんと静まりかえっていて、少年が起きた気配はない。
半助はほぅっと息を吐いた。
平太は、そんな恋人の様子をまじまじと眺め。
「なんか俺達ってまるで・・」
子供の目を気にしながら愛し合う夫婦みたいですね、と言おうとしたら、さっと掌で制された。
「…わかったから、それ以上言わなくていい」
「え、俺まだ何も言ってな・・」
「お前の考えてることはわかるって言ったろ…っ。だから言うなっ」
ひそめた声で怒鳴るその顔は、月明かりだけでもわかるほど真っ赤で。
「…じゃあ、俺が今したいこともわかるよな」
「っ。お、お前まさか…」
平太が伸ばしかけた手に、半助はぎょっと目を丸くして後ずさった。
両手は着物の合わせをしっかと押さえている。
「…いくら俺でもそこまでは考えてませんよ。でも、これくらいはいいでしょう?」
平太は再び半助の体に腕をまわし、今度はそっと抱き締めた。
半助は少しだけ息をとめて。
それから、静かに息を吐き、体を預けてきた。
閉じられた瞼を月明かりが白く照らしている。
平太はゆっくりと頭を傾け、唇を重ねた。
このまま続きになだれ込めないのは残念だけど。
口付けを交わしながら、平太はちらりと家の方に視線をやった。
中でぐっすり眠っているであろう少年を思う。
平太には、その場所がふんわりと優しい空気に包まれているように感じられた。
こういうのも、悪くないな――。
翌日地獄を見るほどのアルバイトを手伝わされることになろうとは、このときは想像すらしていない平太だった。
タイトルは、大好きな同名の曲より。
壁紙のお花は、”月下美人”です(笑)