夏休みも終わりに近づいたとある午後。
 
 かれこれひと月以上続いている猛暑はいまだ衰える気配なく。

 半助は自宅の板張りの上で、半死状態となっていた。
 下帯一枚でごろんと横になり、手足はぐでーと伸びきっている。
 とても生徒には見せられない姿である。

 (あつい……あつい…・・・・・・・・あつい……・・・・・・・・・・)

 ジー ジー ジー ジー ジー ジー
 ギーオ ギーオ ギーオ ギーオ
 ミーンミンミンミー ミーンミンミンミー

 「……」

 ギーオ ギーオ ギーオ ギーオ 
 ミーンミンミンミー ミーンミンミンミー
 ジー ジー ジー ジー ジー ジー

 「………あーもー!うるさい!!!」

 外にも出たくない、家にいても蝉の声がうるさくて寝られやしない。とはいえ、掃除洗濯に新学期の授業の準備と、しなければならないことは山ほどあるが、この暑さでは何もする気が起きない。
 今日の半助は朝からずっとこんな調子でくさくさしていた。

 と、そこへ。

 ――とんとん

 扉をたたく音。

 (……どこのどいつだ、こんな日に訪ねてくる不届き者はっ。土井半助は留守だ。誰だか知らないが早く帰りやがれ)

 暑すぎてヤサグレ気味の半助である。

 ――とんとんとんとん

 (……)

 ――とんとととんとん とんとん!

 (…………)

 『土井せんせー?いらっしゃらないんですかー??』

 (あれ…?この声は……)

 半助はのそのそと体を起こした。
 そして部屋の隅にぐしゃ、と丸めてあった着物を羽織ると、適当に帯紐を結びながら土間へと降り、戸を開けた。

 そこに立っていたのは――

 「へいたー?」

 六年は組の学級委員長、多紀平太である。
 最後に会ったのは一学期の最終日なので、顔を見るのはほぼひと月ぶりだ。

 「なんだ。いらっしゃったんなら、早く開けてくださいよ」

 「お前こそどうしたんだ。――あ、入れよ」

 「はい。おじゃまします」

 平太は土間で草履を脱ぐと、きちんと揃えて上がる。
 それを横目で見て、半助は笑みをこぼした。忍術学園の忍たまは、共同生活のせいか、こういう礼儀作法が自然と身についていた。

 それにしても、と半助は湯呑を探しながら、平太を見た。
 あーあつかったー!などと喚いてはいるが、この猛暑の中を歩いてきたくせにへばった様子は全くない。さすがにだいぶ汗はかいているが、けろっとしたものである。
 これが若さというものか…と、半助は先程までの自分と比べてちょっと悲しくなった。

 が、実際のところ、半助もまだ二十二である。その違いは年齢というよりも、単に半助の暑さに弱い体質と、それ以上に性格の違いにあることに彼は気づいていない。
 土井半助は、生徒達の相手をする時は細かな所まで目が届き、面倒見もいいため誤解されがちだが、その本質は相当な”ずぼら”だった。
 夏休みで教師休業中のため、その本来の性格が表に出てきただけである。

 半助は、ほいっと水を入れた湯呑を渡してやる。

 「喉、渇いてるだろ?」

 「ええ、ありがとうございます」

 平太は笑顔でそれを受け取りごくごくと旨そうに飲んで一息つくと、湯呑をコトンと脇へ置いた。そして傍らの荷物をがさごそと探り、中から包みを取り出した。

 「はい、これ。先生にお土産」

 カサッという音を立て、半助の手に載せる。
 開くと、笹で包まれた草団子が現れた。

 「ここへ来る道中で買いました。郷里のものじゃなくて申し訳ないですが」

 「この暑さじゃおまえの郷里から食い物は持ってこられないだろう。旨そうじゃないか。ありがとな」

 せっかくだし今食おうぜ?と半助も自分の湯呑を持ってきて平太の向かいに座る。

 「で?今日は一体どうしたんだ?おまえの郷里って伊勢だったよな。ここまで数日はかかるだろう?」

 もぐもぐと団子を噛みながら、半助は尋ねた。

 「ええ。実はこの隣町に叔父が住んでいて、母から使いを頼まれたんです。今日はもう帰るところだったんですが、たしか土井先生の家ってこの辺だったなって思い出して、試しにその辺りの人に聞いたらすぐに教えてくれました」

 「ふーん、そっか…・・」




 ジー ジー ジー ジー ジー ジー

 ずる…

 「……」


 ギーオ ギーオ ギーオ ギーオ

 ずるずる…

 「……」


 ミーンミンミンミー ミーンミンミンミー

 べたー

 「先生………」

 のべーっと溶けた氷菓子のように床の上に伸びた半助を、平太は呆れ顔で眺めた。

 「……お前と話してて一瞬忘れてたけど………思い出したんだよ………はぁ……だめ…だ……あつい………あついぞへいたー………」

 息も絶え絶えに半助が言う。
 「へいたーって言われてもなぁ……」

 学園にいるときは気付かなかったが、どうやらこの担任は極端に暑さに弱いようだ。

 「それにしても」

 平太は半助のことは放っておくことにして、あらためて周囲を見まわした。

 「…先生の生活がこんなだとはな」

 思わず溜息がこぼれる。

 部屋の隅にはほんの形だけ畳んだだけの布団、その傍らには開かれたままの本の山(おそらく寝ながら読んでいたのだろう)、ぐしゃぐしゃに丸めて放られた黒の忍服(言うまでもなく忍術学園教師の制服である)、手入れの途中で面倒になり放置されたと思われる忍具の数々、囲炉裏の鍋の中にはいつからあるのかわからない怪しい物体――。

 「こんなんじゃ今時の嫁さんは来てくれませんよ」

 「……うーるーさーいー……・・」

 答える半助の声は、いつもの大きさの十分の一にも満たない。

 「まったく…。しょうがないなー」

 平太は見るに見かねて、とりあえず目についたものだけ、簡単に掃除してやることにした(ごろごろと床に転がっている半助は大層掃除のじゃまであった)。



 掃除をしたり、半死状態の半助相手に雑談をしたりしているうちに、あっという間に夕陽が差し込む時分となった。

 「なあ、お前、急ぐのか?」

 相変わらず寝っころがりながら半助が聞く。

 「いえ、特には」

 「なら、今夜は泊まっていけよ。もう日が暮れるし、明日の朝発っても変わらないだろ。客用布団なんてないから、雑魚寝でよかったら、だけど」

 「……」

 平太の動きが一瞬止まる。

 「?どうかしたか?」

 「あ、いいえ…。じゃあ、そうさせてもらおうかな」

 「おう」

 平太の複雑な表情には気付かず、半助は笑みを浮かべた。



 「ところで先生。夕飯、どうするんですか?」

 「この家には米以外何もないぞ」

 「ええ、言われなくてもよくわかっています」

 「んー……。蕎麦でも食いに行くか…」

 大儀そうに、半助はのろのろと起き上がった。






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