『だから…、ごめんな』
『………うん、わかった…。ありがとう、ちゃんと返事をしてくれて。でも、私は平太君のこと、これからも、卒業しても、ずっと好きだから…。それだけは、許してね』
涙を溜めた目でにこっと笑った琴乃の顔を思い出しながら、平太は火薬庫前の木の上で横になっていた。
秋の気配を含んだ風が平太の髪を揺らす。
空は高く、どこまでも澄んでいて。
(卒業しても、か…)
この学園で過ごす最後の夏が、終わろうとしていた。
と、倉庫の扉がギィと音をたて、半助と明秀が姿を見せた。
「ありがとな、明秀。助かったよ」
「いえ。また何かあったらいつでも呼んで下さい」
平太はとん、と木から飛び降りる。
二人が同時に顔を向けた。
「先生。少し、いいですか?」
倉庫内を目で示すと、明秀はちらりと笑い、じゃ、俺はこれで失礼します、と言って二人を残して歩き去った。
「……あいつ、俺達のこと、知ってるんだな……」
去っていく明秀を見ながら、半助が呟く。
「なんか言ってましたか…?」
「いや。でも、わかるよ」
「すみません…。実は、俺が話しました。…でも、あいつは絶対に人に言いませんよ」
すると半助は平太の方へ顔を向け、
「わかってるよ。お前の親友だもんな」
と微笑んだ。
「で、どうかしたか?」
倉庫内に入り扉を閉めてから、半助が尋ねる。
「さっき沙希が話してたことだけど…」
「ああ…。悪かったな。聞くつもりはなかったんだけど…」
半助は困ったように頭を掻いた。
それを聞き、堰を切ったように、平太の口から言葉が溢れ出した。
「俺…、先生だけだからな。変なことは考えるなよ。琴乃には今、断ってきた。琴乃はいい子だけど、でも…っ」
「でも、お前は、俺が好きなんだろう……?」
ゆったりと言葉を引き取られ、平太は半助の顔を見た。
半助はそんな平太に微笑むと、顔を寄せ、ふわり、と口付けた。
「………」
唇に押し付けられる柔らかな感触に、平太は呆然とする。
半助はゆっくりと唇を離し、そして明るく笑った。
「そんなに不安にならなくても、大丈夫だよ、平太。お前の気持ち、俺はちゃんとわかってる」
「………」
平太はじっと息を詰めて半助を見つめた。
そして、……はぁぁ……と脱力すると、そのまま半助にもたれかかり、肩口にぎゅぅと額を押し付けた。
「ん?どうした?」
甘えるような平太の頭を抱いて、半助が微笑む。
「………惚れ直した」
冗談だと思ったのか、あははっと楽しそうに半助は笑った。
帰り道。
「ところで、先生。本当に全っ然心配してなかったの?」
それはそれであまり愛されていないようで複雑だ…と思いながら、平太は聞いた。
「……そんなわけないだろ。…俺はいつだって心配だよ。お前、もてるし。その理由もよくわかるしな。だからこそ、心配してたらきりがない。でも、もし…、もしいつかお前が本気で付き合いたいと思う女の子に出会ったら、その時は…」
「それはないよ」
半助の言葉を遮って、平太は言う。
「……万が一、だ」
「万が一もない」
平太は、まっすぐに半助の目を見て言い切った。
半助は、眩しいものを見る思いで、平太を見た。
桜の下で初めて出会ったときも、気持ちを打ち明けられた夜も、彼はこのまっすぐな目を半助に向けたのだった。
半助だけじゃない。
平太はいつだって目をそらすことなく、まっすぐに自分を取り巻く世界を見ている。
この少年の目に世界はどんな風に映っているのだろう、と時々半助は思う。
この先彼は、薄汚れたものや残酷なもの、悲しいものを沢山その目に映すことになるのだろう。
でもきっとこの目が変わることはないんだろうな、と半助は不思議な確信とともに感じた。
こんな目を向けられて、どうして目をそらすことができるだろう。
「平太」
半助は、歩きながら、そっと囁いた。
「んー?」
「……好きだよ」
平太が半助の方を見たのがわかった。
半助は前を向いたままだ。
「…………。先生、倉庫へ戻ろう」
「へ?」
思わず顔を向けた半助の手をつかみ、平太は突然くるりと周り右した。
「なっ、おい、どうしたんだよいきなり…・っ。別に倉庫に用なんか…」
強く腕を引かれ訳がわからず慌てる半助を、平太は怒ったように見た。
そして、周りに聞こえない大きさの声で言う。
「…こんなところじゃ、抱き締めることもできないだろ!」
「な…、何言ってんだお前!?」
赤い顔で怒鳴る半助を、平太はぐいぐいと引っぱってゆく。
「ほら先生、早く!」
「ちょ…っ、おい、待てって…っ」
結局倉庫へと連れ戻されてしまった半助は、言わなきゃよかった…と後悔した。
半助は可愛い所が沢山あるけど、やっぱり大人なのです。
その点平太は全く敵わないけど、彼は彼で半助の持っていないものを持ってる子。
もっともあと数年もしないで、そんな関係も変わるはず。