師走。

 忍術学園は冬休みに入り、大晦日も押し迫ったある夜。
 午後から降り始めた雨は日暮れとともに雪へと変わり、空気は深々と冷え込んでいた。

 ここは半助の家。
 囲炉裏にかけられた鍋の中では、雑炊がぐつぐつと音をたてている。


 「あー、食った食ったー。意外にうまかったな、この……葉っぱ」

 半助は後ろ手に手をついて、満足げに言った。

 「でしょー?味がいいんですよ、これ。しかも火にかけても縮まないところが、まさにどケチ向き!」

 残りは明日の朝食べよう〜ときり丸は鍋に蓋をして土間へと運ぶ。

 「どこで採ってきたんだ?」

 「そこのナメタケ川沿いに沢山生えてるじゃないっすか」

 「そうだったか?……食えるんだろうな、それ……」

 「ははっ。食ってから言っても仕方がないでしょ、先生」

 きり丸は茶を用意しながらけらけらと笑った。

 「大丈夫っすよ。どの草が食べられてどの草が食べられないかは、しっかり頭に入ってますから!何もわからなかった頃は、だいぶひどい目に合いましたけどねー」

 「そっか」

 半助は、たくましく笑う十歳の少年をしみじみと眺めた。

 日常の合間にふと訪れるこんな瞬間、半助は思う。
 自らを“どケチ”と呼んで笑ってみせるようになるまで、この小さな体でこいつはどれだけの思いを乗り越えてきたのか。

 半助が生まれる前から各地で繰り返されている戦はすでに日常となり、きり丸のような孤児は決して珍しくはない。
 そして何一つ持たぬ子供を受け入れてやるほど世間は甘くはなく、またその余裕も持ってはいなかった。
 だから彼らは自分自身の力で、大人に負けない術を身につけ、生きてゆかねばならない。
 子供が経験する必要のないことを経験し、自らの気持ちに反することも、やらねばならない。
 その日一日を生き延びるために。
 それは半助自身が身をもって知っていることだ…。


 「はい、先生、お茶」

 「ああ。ありがとう」

 「いいえー」


 ずず…。

 屋根の下で火のついた囲炉裏を囲み、のんびりと食後の茶を飲む。
 傍らには人の気配がある。
 こんな時間のかけがえのなさを、半助もきり丸も、人生の早い時期にすでに知ってしまっていた。

 「静かですねぇ」

 「ああ。この分だと、積もりそうだな」

 「やった!」

 「…雪かきのアルバイトができる、ってか」

 「それ以外に何があるって言うんですか!雪かきのバイトは値がいいんですよ。特に年寄りの多い地域では重宝がられます」

 「いい人助けじゃないか。えらいな、きり丸」

 褒めてやると、

 「…金儲けのためっすよ」

 きり丸は照れたようにそっぽを向いた。しかし嬉しそうな気配は隠し切れていない。
 半助は微笑む。


 ぱちぱちと音をたてる囲炉裏の火を眺めるともなく眺めながら、二人ともそれ以上特に話もせず、静かに茶をすする。
 学園にいるときとは異なり、半助の家では二人の口数は決して多くはなく、それぞれがのんびりと流れる時間を楽しむのが常だった。
 こうして共に過ごす長期休暇も何度目かとなり、沈黙のもたらす心地悪さなどというものはすでに二人の間にはない。


 パチッ……チ…パチ……・・

 腹も膨れて心地よい眠気を感じ、半助は横になり、うとうとと目を閉じた。
 囲炉裏の中で熾る炎の赤が、半助の顔を照らす。




 ………雪………血………赤………・・


 『半助!無駄だ!』

 『ちちうえ!ははうえ…!!』

 『早くこっちへ!お前だけでも逃げるんだ!』

 『嫌だっ。離せよ!ちちうえがまだあの中に…!』

 『急げ!火が回る…!!』


 ………炎………熱………・・



 「…!」

 半助ははっ、と目を開いた。

 (ここ、は……?)

 どくどくと音を立てる心臓を感じながら横たわったまま目だけを動かすと、囲炉裏の中の灰を火箸で掻きまわしているきり丸の姿があった。
 自分が今いる場所を思い出し、ふぅ…と息をついて体を弛緩させる。
 眠っていたのはそう長い時間ではないようだ。

 (あの夢、久しぶりにみたな……。雪と……この炎のせいか……)

 あの日も、雪だった。



 「……?」

 ふと、半助は何かがおかしい気がして、もう一度きり丸の方に視線を向けた。
 きり丸はまだ灰を掻きまわしている。
 同じ速度で、繰り返し。
 目は炎をじっと見つめたままだ。
 …いや、見ているのは炎じゃなく、もっとその奥の…。

 表情の消えたきり丸の顔を、半助はじっと見る。

 真っ赤に燃える炎。

 それはきり丸の記憶の中にもあることを、半助は知っている。
 そしてそれは半助ほど遠い過去のことではない。

 (俺の夢がきり丸に伝染ったか。きり丸の心が俺に伝染ったか。あるいは今日はそういう日なのか……?)



 「きり丸」

 半助はきり丸を驚かさないように静かに声をかけた。
 きり丸は炎のあたった顔をゆっくりと向けた。
 まだ夢うつつのような顔だが、それでもにこっと笑う。

 「起きたの?先生」

 「やっぱり寝てたか、俺…?」

 「うん。もう少ししたら起こそうと思ってたんだ。風邪引いちゃうから」

 「……きり丸、ちょっとこっちへ来い」

 ちょいちょいと手招きする。

 「ん?なんすか。タダじゃ動きませんよ、僕は」

 「教師命令」

 「ったくもー…横暴なんだから…」

 それでも素直に近寄ってきたきり丸を、半助はぐいと引き寄せ、腕の中にくるむようにぎゅぅと抱きしめた。

 「…えっ、ちょっと…せんせ!?」

 きり丸が慌てたように身じろぐ。

 「あったかー……。子供の体温は高いからなー」

 「……湯たんぽ代わりですか」

 「んー」

 半助はきり丸の髪に鼻先を埋めて、目を閉じる。

 「…先生」

 「なんだ?」

 「…湯たんぽ代、きっちりいただきますから……」

 「お前だってあったかいだろー?」

 「………」


 ふふ、と楽しそうにぎゅうぎゅうと力を込める半助に、きり丸は痛てー!と文句を言ったが、しばらくするとふっと体の力を抜いて静かに身を任せた。


 きり丸の頬が赤い。
 炎の色ではない。
 死に逝く者の冷たい血の色でもない。
 今を生きている者だけに流れる、温かな血の色だ。


 雪の記憶も、炎の記憶も、こうして塗り替えてゆけばいい。
 起きてしまった事実は変わらないけれど、思い出の色は変えることができる。
 これからも、雪の日には、また自分はあの夢を見るだろう。でも、同時にきっと、この夜を思い出す。この腕の中の温もりを。
 きり丸も、同じだったらいい。いつか炎を見て暗い記憶を思い起こした時、たとえその時に彼が一人きりだったとしても、自分と一緒に過ごしたこの夜を思い出してくれたらいい。
 思い出は人を苦しめもするけれど、生かしてもくれるのだ。
 この腕の中の温もりに、そんな温かい思い出をいっぱい作ってやれたら……。

 雪の降る気配と炎のはぜる音に包まれて、半助は静かに祈った。








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