晩秋のその日。
文次郎が夜の鍛錬から戻ると、部屋では同室人が布団も敷かず、床の上で熟睡していた。
彼はしばらく隣国へ実習に出ていたので、顔を見るのは数日ぶりだった。
髪が濡れているところを見ると風呂にだけは入ったようだが、布団を敷く気力までは残っていなかったようである。几帳面な同室人の、こういう姿はめずらしい。
と、手入れの行き届いた長い黒髪の毛先が僅かに焦げているのが目に入り、文次郎は、なるほど、と了解した。
仙蔵が火に纏わることで失敗をするなど、あり得ない。
たった一つの状況を除いては――。
つまり今回の任務もまた、 “あの二人”が関わっていたと考えて間違いないだろう。
(それでこんなに疲れているのか)
笑うべきか、同情すべきか。
文次郎は苦笑した。
「おい、ちゃんと布団で寝ないと風邪ひくぞ」
「…ん…」
「おいって」
肩に手をかけ軽く揺するが、仙蔵はうるさいというように眉根を寄せ、口の中でもごもごと不明瞭な言葉を呟き、ごろんと背を向けてしまう。
「仙蔵」
「…わか…って…る…」
そして再び、すぅすぅと静かな寝息が聞こえてくる。
「……何がわかってるって?」
夜中の会計委員会中に眠ってしまう一年の後輩達と何ら変わらぬ同室人の返答に、文次郎はため息をつき。
奥の押入れを開けて仙蔵の布団を取り出し、よっこらせと床に放った。
そしてぽんぽんっと寝床を整えてやり。
「ほら、お前の布団、敷いたぞ」
耳元で大きめの声で言ってみる。
しかし、もう深い眠りに入ってしまっているのか、何の反応も返ってはこない。
全く起きる気配が見られず、ぐっすりと眠り込んでいる同室人。
外は木枯らしが吹き荒び、襖がかたかたと小さく音を立てている。
「――お前が風邪を引いたら、俺が困るんだ」
先日同室で仲良く風邪を引き、二つ並んだ布団の上で真っ赤な顔をして寝ていたは組の友人達の醜態を思い出す。
(…あんなのは俺は御免だぜ)
文次郎は顔を顰めて呟き、そっと仙蔵の身体の下に腕を差し入れて両手で抱き、布団の上に下ろしてやった。
するとやはり硬い床の上よりは寝心地がいいのか、心なしか寝顔が穏やかになる。
ばさりと掛け布団を掛けてやり、それから、最近あまりしみじみと見ることのなかったその顔を、文次郎は眺めた。
白磁のような肌に、漆黒の髪、人形のように整った目鼻立ち。
それらははじめて会った頃から何も変わっていない。
入学式の前日、はじめて同室人として彼を紹介されたとき、生っちろい女みたいな顔と身体で忍者になるなど本気かと、文次郎は内心で笑ったものだった。まあ、すぐに自分の甘さを数倍返しで思い知らされることになったのだが。
結局それから六年間、自分達は学年首位の座を互いに競い続けることになり、そして今に至っている。
まったく、口は悪いし、顔を見れば嫌味ばかり言ってくる、可愛げのない奴だけど。
仙蔵がこんな無防備な顔を見せるのは、今はまだ、自分にだけであることを文次郎は知っていた。
「――あんまり無茶してんじゃねーぞ」
起きていたら「お前には言われたくない!」と返ってくることは必至だなと思いながら、文次郎は安らかな寝顔にかかる一部焦げてしまったその髪を、くしゃりと撫でた。