やっぱり今日中、だよなぁ・・・。
明日から三学期というその日。
半助は街道を歩きながら、平太と顔を合わすタイミングについて、うだうだと思い悩んでいた。
後になればなるだけ羞恥が増すのは、夏休み明けで証明済みだ。
あぁ、だけど・・・っ。
ぼんっと昨年末のアレコレが生々しく頭に浮かび(この回想ももう何十回目かわからない)、半助は一人おろおろと狼狽えた。
情を交わしたばかりの相手との再会とは、こんなに羞恥を伴うものだったろうか。
なぜか平太が相手となるとすべてにおいて勝手が違い、半助は戸惑ってばかりだった。
相手が同性のせいか、あるいは抱かれた側だからか・・・。
ちなみに冬の弱い陽は、すでにとっぷりと暮れている。
今日一日ぐるぐると迷いに迷った結果、こんな時間になってしまったのだ。
いつものけもの道ではなく街道を使っているのもそのためだった。
やがて、闇の中に見慣れた忍術学園の建物が見えてくる。
みんな、今頃は夕飯を食べている頃だろう。
半助もだいぶ腹が減っていた。
荷物を部屋に置いたらすぐに食堂へ行こう、おそらく平太もいるだろうがやっぱり今会ってしまった方がいい、と考えたところで。
小さな影が数個、ぱたぱたっと正門から飛び出してきた。
見れば、火薬委員の一年生と三年生である。
「どうしたんだ?お前達」
「「「あっ、土井先生。あけましておめでとうございます」」」
「ああ、おめでとう」
黒い頭が行儀よくぺこっと下げられ、目の前に並んだ小さな旋毛達に半助は微笑した。
「それより、一体こんな時間にどこへ行くんだ?」
「夕飯を食べに」
「夕飯・・・?食堂に用意されていないのか?」
「いえ、あるにはあるんですが・・・」
言いづらそうに口を濁した一年生の後を、三年生が引き取る。
「先生も食堂へ行かれれば、おわかりになると思います。あの、僕達急ぐので失礼しますっ」
小さな塊達はなぜか慌てたようにばたばたと、街の方へ向かい走っていってしまった。
「暗いから気をつけろよー!ちゃんと門限までに戻るようにな!」
「「「は〜い!」」」
半助が追いかけるように言葉を投げると、元気な返事が返ってきた。
なんだか妙だな・・・と首を傾げつつ半助は正門をくぐった。
とりあえず部屋に荷物だけ置いて、そのまま食堂へと向かう。
廊下を曲がり“食堂”のしゃもじが目に入ると、がやがやと賑やかな気配とともに美味しそうな匂いが漂ってきた。
腹がぐぅと鳴る。
なんだ、ちゃんと夕飯は用意されてるじゃないか。
そう思って食堂に足を踏み入れた途端、
「?」
半助の首は再び傾いた。
・・・今夜はなんだか年齢層が高いな。
テーブルを囲んでいるのは、殆どが四〜六年生だった。
しかも雰囲気が妙である。
なんというか、そう、無理やりに食っているような・・・。
そのとき。
「あっ、土井先生!」
調理場の中から嬉しげな声が上がった。
食堂のおばちゃんの声ではない。
この声は、今朝から何十回となく半助が反芻し続けてきた声である。
反射的に振り返って、半助は固まった。
そこにいたのは――。
時は朝に遡る。
平太は、颯爽と霜を踏み鳴らし、早朝の冷たい空気に包まれた学園の門の前に立った。
宿を出たときはまだ真っ暗だったが、今はもうだいぶ明るい。
なぜこんなに朝早く平太が到着したかといえば、理由はただ一つ。
一秒でも早く半助に会いたかったからだ。
はじめ平太は、半助の家まで迎えに行こうかと考えた。しかし、もし半助が自分と同じことを考えて既に家を出ていたらすれ違ってしまうため、平太はまっすぐ学園へ来たのだった。
どんどんっ
門を叩く。
しかし、誰も出てこない。
どんどんどんどんっ
やはり返答はない。
・・・何をやっているんだ、ヘムヘムは。
新年早々たるんでる。
どんどどどんどん、どんどんっ
――ギィ。
「・・・へむへむ〜・・・」
ようやく、瞼を半分閉じたままのヘムヘムが扉を開けてくれた。
「ヘムヘム、あけましておめでとう!」
「へむへむ〜・・・」
なぜか恨みがましそうに、ヘムヘムは新年の挨拶を返した。
「土井先生は?」
「・・・へむ?」
いきなり言われた単語に、ヘムヘムはきょとんとした。
「土井先生は、もう来てる?」
「へむへむへむっ。へむへむへむへむ〜!」
「なに?来ている訳ないだろう、こんな時間に来るのは俺くらいだって?、、、おかしいなぁ。ま、いいや。入るぜ」
と扉をくぐるとき、平太は一通の文が足元に落ちていることに気がついた。
「なんだこれ?」
裏を返すと、そこには墨で“食堂のおばちゃんより”と書かれていた。
おばちゃんも、冬休みの間は故郷に帰っていたはずだ。
「食堂のおばちゃんからだ。だめじゃないかヘムヘム、文はちゃんと受け取らないと。きっとさっきみたいに誰も出てこないから、馬借がここに置いていったんだぜ」
めっと叱ると、ヘムヘムはバツが悪そうに眉を下げた。
「でもちょうどいいや。学園長先生に挨拶ついでに持って行くよ」
そのまま、平太はヘムヘムとともに学園長室へ向かった。
学園長はすっかり起きており、庭で盆栽の手入れをしていた。
さすがは学園長先生だ、と平太は感心する。
しかし実際はなんてことはない、老人の朝は早いというだけのことだった。
「学園長先生!」
「おお、平太。お前が一番か。感心感心」
「あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。で早速ですが、学園長先生に文が届いていました。食堂のおばちゃんからのようです」
「ほぉ。どれどれ」
学園長は縁側に腰かけて差し出された文に目を通し、それからそれをパサッと平太の前に置いた。
「うーん、これは困った・・・」
「・・・?拝見します」
平太が文を開くと、それは『家の事情でどうしても到着が明日になってしまう。本当に申し訳ないが、材料は届いているはずだから、今夜の夕飯は自分達でどうにかしてもらえないだろうか』という内容だった。
「困ったのぅ・・・。生徒も先生方も到着は午後になるじゃろうし、皆お腹を空かせてくるはずじゃし・・・」
それを聞いた平太の顔が、ぱっと輝く。
「じゃあ、俺がやりますよ!」
嬉々とした様子の平太に、学園長は焦ったように言葉を重ねた。
「いや、お前はちょっとやめておいた方がよいんじゃ・・・」
「楽しみになさっていてください!」
「あ、これっ。待たんか、へいたっ・・・!」
人の話を全く聞かない平太は、風のように学園長室を後にした。
部屋に荷物を置いてから食堂へ行き、ちゃんと食材が届いていることを確認した平太は、早速準備にとりかかった。
その第一段階が、変化の術、つまり女装であった。
料理をするなら中身だけでなく形も大事にしなければ!と張り切った結果である。
”なにごとも全力で”が平太のモットーだった。
しかも今日は半助との再会の日である。化粧にも念が入るというものだ。
その発想自体ちょっとずれてるということに、平太は気付いていない。
午後になると、続々と生徒達が到着しはじめた。
食堂から漂ういい匂い。
当然食堂のおばちゃんが作っているものと全員が思った。
匂いだけはやけに美味しそうなところが、平太の料理の恐ろしいところだった。
そして真相に気付いたときは既に遅く――。
「これは土井先生の分だから、お前ら、食うなよ!」
陽もとっぷりと暮れ、生徒達で溢れかえった食堂。
調理場の中から、もう何十回目かわからない注意の声がとぶ。
「誰もそんなもん盗らねーよ・・・」と言える者は、ここにはいなかった。
要領のいいくの一教室は、早々に真実に気付き、既にみな街へと外食に出ていた。
逃げられなかったのは男衆。
それも思春期をむかえた上級生組である。
なぜ逃げられなかったか。
別に平太が強いからとかそういう理由ではない。
理由は。
おタキちゃんが可愛すぎるせいだった。
ただでさえ“今まで落とせなかった男はいない”最強おタキちゃん。
中身が平太だと知ってはいても、化粧にも衣装にもいつも以上に念を入れ、極め付けにエプロンをつけたその愛らしさは殺人的だった。
「・・・ひさしぶりだな、この味・・・」
「最近大人しくなってたのにな・・・。またブーム到来か・・・?」
げっそりと目の前の皿をみつめるのは六学年の生徒達。
一時期平太の中で料理ブームが起きたことがあり、当時自分達が耐えた並ならぬ試練を、彼らは思い出した。
「しっかし、おタキちゃんのあの可愛さは反則だよなあ・・・」
「しかも今日のあいつ、なんかいつも以上に可愛くねーか?」
彼らの視線がカウンターの向こう側でいそいそと配膳をしている美少女に向かう。
「はいっ。残さず食べてね」
そうニコリと微笑んで皿を差し出され、年頃の男で拒める者はいなかった。
唯一の例外である明秀は「そんなゴミみたいなの、誰が食うか」とずけずけ言ったが、平太は「そんなことを言うのはお前だけだ。お前の舌がおかしーんだよ」と言って取り合わなかった。恐るべき楽観主義者である。
「なっ、なっ」
平太が明秀の着物をクイクイと引く。
「なんだ?」
平太は、耳元に口を寄せ、こそっと囁いた。
「土井先生がさ、俺の料理、美味いって言ってくれたんだっ」
そして、どこの恋する乙女だという様子で頬を赤らめた。
「ああそうか。それはよかったな」
そんな適当な返事にも「ああ!」と素直ににっこりと笑う顔は相当な可愛らしさだったが、おタキちゃんとの付き合いも長い明秀は平然と「じゃ、俺は外で食ってくるから」と食堂の外でこっそりと待っていた下級生達を連れて街へと出かけて行ったのだった。
以上が、半助が到着する前に起きた一部始終である。
そして今。
「土井先生!遅かったんですねっ」
「あ、ああ。ちょっとな」
相変わらずの、いや前回以上に力の入った美少女ぶりに、半助は固まる。
「あけましておめでとうございます!」
「ああ、おめでとう。・・・お前が料理してるのか?」
「ええ。ちょっと待っていてくださいね。いま先生の分を持ってきますからっ」
そう言って平太は一旦奥へと引っ込み、半助のために一番美味しそうなところを盛り付けておいた“とっておき”を運んできた。
ちなみにカムフラージュとして作られたもう一つの“とっておき”を食べさせられた伝蔵は、青い顔で姿を消したまま戻ってきていない。
「はい、どうぞ」
半助の目の前に、皆の軽く二倍はある大皿がどんっと置かれる。
う・・・。
半助の頬がひきつる。
「い、いただきます」
半助は恐る恐る箸を伸ばし、ぱくんと口に入れた。
「どうですか?美味しいですか?」
「・・・・・・」
「先生?」
「えっ?あ、ああ。・・・うまいよ・・・」
それはあいかわらずの、いや、正月料理のせいか前回以上にパワーアップした奇天烈な味だった。
しかし半助には逆立ちしたって“まずい”とは言えない。
「やった!!」
そう言ってきゃいきゃい喜んでいるおタキちゃんに、周りの生徒達は自分達を棚に上げ、「先生、なんてことを・・・っ」と涙を流した。
これで再び平太の中に料理ブームが起きることは必至である。
平太との再会を前にして散々緊張していた半助は、ほっとしたような、気が抜けたような。
夏休み明けのような色っぽい再会を期待していたわけではなかったが(いきなり資料室に引き摺り込まれたアレである)、まさかおタキちゃんとは、な。
半助の想像の域をいつも軽々と超えてしまう恋人に、半助は苦笑した。
楽しくて仕方なさそうに料理を振舞う平太と、顔を真っ青にしながらそれを平らげる生徒達。
一人静かな年越しを過ごした半助は、新年早々の賑やかな騒々しさを嬉しげに眺めた。
やっぱり自分の居るべき場所は此処なのだと、改めて感じる。
帰るべき場所へ帰ってきた暖かな実感を感じながら、半助は愛しい恋人の作った困った手料理をゆっくりと味わった。
そのうち本気で美味いとか言い出しそうです、半助。