「それでは、各自気を引き締めて勉学に励むように!以上じゃ!」
学園長の挨拶とともに二学期最初の朝礼が終わり、夏の間に一回り日焼けして戻ってきた忍たま達は、ぞろぞろとそれぞれの教室へと散っていった。
そして今、半助は六年は組の教室の前にいる。
他の教室はすでにホームルームが始まっているため、廊下にいるのは半助一人である。
担任がいまだ姿を現さないは組の教室内は賑やかで、その声の中には、当然、多紀平太もいるだろう。
「……」
忍術学園では、始業日の前日に全員が学園入りする決まりとなっていた。
従って、半助が到着したのも昨日の午後である。
しかし彼は、まだ一度も平太と顔を合わせてはいなかった。
昨夜の夕食も、今朝の朝食も、半助はあえて時間をずらした。朝礼中は教師の列に並んでいたし、は組の方へは生徒達の元気な姿を確かめた以外は、殆ど顔を向けていない。
なぜ半助がここまで平太を避けるかといえば。
要は、気恥ずかしくて仕方がないのである。
半助の家で二人が思いを打ち明け、恋人として時を過ごしたのはわずか半日。それ以来半月ぶりに、半助は平太と顔を合わすのだ。
しかも、学校で。
(〜〜〜どーゆー顔して会えばいいんだよ…っ。それも他の生徒達の前で!)
こんなことならさっさと覚悟を決めて昨日のうちに会ってしまえばよかった…と思うが、時すでに遅し。
むろん半助は教室ではポーカーフェイスを決め込むつもりでいるが、問題はそれがうまくできるかだ。
(………。いや、やってみせる!俺も忍びだ!)
拳を握り締めて自分に勢いをつけると、半助はがらっと戸を開けた。
と同時に、生徒達がばらばらと席に着く。
半助は教壇に立ち、皆の顔を笑顔で見回した。
「ひと月半ぶりか。みんな、元気そうだな!」
情けないが、平太の顔だけは微妙に視線を外してしまった。
「先生も元気そうじゃん!」
「あんまり焼けてないんじゃねー?」
皆が口ぐちに言う。
可愛い生徒達の元気な顔を見るのはやはり嬉しく、半助の顔が綻ぶ。
「はいはい、静かにな。学園長先生もおっしゃっていたとおり、夏休みは終わりだ。今日から気持ちを入れ替えろよ。早速だが、一学期の期末試験を返す。名前を呼ばれた者は、前へ取りに来るように」
うわ〜!げ〜!という声があちこちから上がる。
「どんなに嫌がっても逃げられないぞー」
半助は自分にも言い聞かせた。
「秋山!……ケアレスミスが多かったぞ。大きなミスは少ないんだから、もうすこし慎重にな」
「はい。……げ、四十点……」
「篠原!……お前、字が雑すぎる…。上手くなくてもいいから、丁寧に書け」
「はーい」
次第に鼓動が早まるのを、半助は抑え込む。
(俺は忍び、俺は忍び…)
「高久!……満点だ。よくやった」
「当然です」
明秀の余裕の笑みに、ハハ…と半助は苦笑する。
「多紀!」
平太が席を立ち、前に立つ。
「よくできてたぞ。頑張ったな」
答案用紙を手渡しながら、半助は教師の笑みを見せた。
「これが俺の実力ですよ」
こちらも完璧な生徒の笑みで返す平太。
「はいはい。これからもその調子でな」
平太が席へ戻るのを見届け、山場を終えた半助は内心で一息ついた。
その後、簡単な知らせや注意事項を言い、ホームルームは終了した。初日は授業がないため、今日はこれで解散である。
「ありがとうございました!」の声に送られ教室を出る際、半助はついちら、と平太の方へ視線を向けてしまった。
すると平太も半助を見ていたため、二人の目が合う。
(う…)
一瞬動揺が顔に出てしまい、半助は慌てて戸を閉めた。
再び騒がしくなった室内で、平太はのんびりと立ち上がる。
「どっか行くのか?」
隣の席の明秀が尋ねた。
「厠ー」
「ふーん…」
(……)
一方半助は、完璧なポーカーフェイスを見せた平太に、自分のことは棚に上げて、ほっとしたような物足りないような複雑な心持ちで廊下を歩いていた。
そこへ突然横から腕が伸び、片手で口を塞がれる。
「!?」
抵抗する間もなく、強い力でぐいと傍らの部屋の中へ引き込まれた。
そこは資料室である。
引き込んだ影は、半助の口を塞いだまま、すばやく錠をおろす。
そして、ようやく手が外された。
「ぷはっ…はぁ…はぁ…」
大きく息を吸って呼吸を落ち着ける半助に、
「ごめんね、先生。だいじょうぶ?」
影――平太は、悪びれもなく笑った。
「平太ー……」
半助が非難がましく見ると、平太は少し真面目な顔つきになって言った。
「だって、半月ぶり、なんですよ」
半助はどきっとした。
平太は戸惑うことなく半助の体に腕をまわす。
「会いたかった。先生に……触れたくてたまらなかった」
きゅ…と強く抱き締められて、半助の胸にふわ、と泣きたいような幸福感が満ちてゆく。
ああ、俺は本当にこいつのことが好きなんだな、と半助は改めて思った。
と、平太が少し拗ねた様子で言った。
「先生ってば昨日も全然顔をみせてくれないんだもんな。俺のこと、避けてたでしょう?」
「う…」
図星なので何も言えず視線を下げる半助に、平太が表情を和らげる。
「俺と会うのが、恥ずかしかった…?」
半助の顔にかあっと血が上った。
至近から平太に見つめられ、耐えられず半助は顔を伏せた。
しかしその耳は真っ赤で、直接平太に伝わる熱い体温と早い鼓動は半助の心の内を何よりも雄弁に物語っていた。
平太はしばらく腕の中の感触を楽しんでから、半助の腕をやんわりと掴み、僅かに体を離した。
「先生、顔、上げて?」
「……」
半助は俯いたままだ。
そんな半助を平太は愛しそうに見て、再度囁く。
「でないと、口、吸えないから…」
半助の肩がぴくりと震える。
「ほら…」
平太は半助の両頬を掌で包むと、そっと上向かせた。
半助が真っ赤な顔で平太を見る。
平太は半助の唇を親指で撫で、そして、ゆっくりと唇を重ねた。
柔らかく合わされた唇の隙間から平太の舌が滑り込み、半助の舌に触れる。
小さく跳ねた半助の背を抱き、平太は戯れるように舌を絡めた。
「ん……」
半助の手がためらいがちに平太の背にまわされる。
平太は半助の頭を両手で支え、角度を変えては、半月の時間を取り戻すように長い時間をかけて口内を味わった。
くちゅ、ちゅく…と静まった室内に響き渡る音。
廊下を歩く生徒達の話し声がかすかに聞こえる。
「ふ…」
零れる熱い吐息とともに優しく舌を吸われ、
「ぅん…」
くたりと力が抜けた半助の体を、平太が腰にまわした手で支える。そして半助の首筋に顔をうずめて、ぎゅ、ときつく抱き締めた。
「先生、可愛いすぎ…たまんない…」
「だから、可愛いって言うなって…」
そこに、ゴーン、と昼食を告げる鐘の音がとどく。
と同時に、
グゥ。
半助の腹が鳴った。
「……」
「…せんせ、ほんと、どうしてそう可愛いかねー!」
くっくっと笑う平太に、半助が言い返す。
「笑うな!時間をずらしたせいで、今朝の朝食はめちゃくちゃ早かったんだよ!」
「だから、さっさと会えばよかったのに」
じゃ、先生のために飯に行きましょーか、と平太が笑いながら戸に手をかけたとき、半助はそういえば、と思い出したように言った。
「さっきも言ったけど、学期末試験、頑張ったんだな」
「ええ。言ったでしょう?俺、強くなってみせるって。あなたを守れるくらいに強くなるって」
平太はにっこりと微笑んで、半助の頬を軽く撫でた。
(……俺の、ため……?)
「………どこまで惚れさせるつもりだ………」
「え?なんか言いました?」
「いや…。俺ちょっとここで用があるから、お前は先に行ってろ…」
「手伝いましょうか?」
「大丈夫だ」
「そう?それじゃ、お先に」
ちゅ、と半助の耳に口付けて、平太は出て行った。
「……」
残された半助は、
(こんな顔で、出ていけるわけないだろう……っ)
両手で、真っ赤な顔を覆った。