『くノ一が教えてあ・げ・る 房術の極意☆』
午後の授業も掃除も終わった放課後。
は組の教室では、そのしょーもないタイトルの本を、少年達が半ば本気、半ば好奇心から、熱い視線で覗き込んでいた。
先日街へ出た生徒の一人が、“テキスト”とのたまって買ってきた代物である。
「おおっ、すげー!四十八手が全部絵付きで解説されてるぜ!」
「な、なんか俺、変な気分になってきた…」
「おい、ヤバくなる前に厠へ行けよ」
「平太ー、明秀ー、お前らも見てみろよ!」
親友の高久明秀とともにその騒ぎを遠目で眺めていた平太は、声をかけられ、その輪の中に加わった。
覗いてみると、なるほど、そこには妙に生々しい男女の絡みの絵がこれでもかというほど展開されていた。
恍惚とした表情の女は頭に頭巾を被っており、そこだけが唯一のくノ一らしき部分である。
あとは裸体だった。
「これ、くノ一である意味あんのか?」
平太がその素朴な疑問を口にした途端、周囲から物凄い勢いで反論が起こった。
「わかってねーなー、平太!くノ一ってところがいーんじゃんか。これが町娘や遊女じゃ燃えるもんも燃えねーよ」
「あと、女教師とかもいいよな〜」
くノ一にしろ、女教師にしろ、その実態を誰よりも知っていて興奮できるお前らの方が俺にはよっぽど不思議だぜ、と平太は思った。
「どーよ、明秀?」
平太が期待していたほどのってこないので、級友は明秀に振る。
明秀はその本をぱらぱらとめくり、それから、さらりと言った。
「悪くはないが、俺は本物の方がいいな」
「「「………」」」
……しーん……と場が静まった。
「…っ畜生ー!羨ましすぎるぜ!!」
「そうだよな〜。お前、本物のくノ一からご教授受けてんだもんな〜。こんな本で興奮するわけないか」
級友達から口ぐちに羨望の声が上がる。
明秀の彼女は、くの一教室でも評判の美少女だった。
「いや、教えてんのは俺の方」
素でさらにアダルトな返答をした明秀に、級友達は一瞬黙った後、場はさらに沸き立った。
「もーいいからお前は黙ってろ!俺らとはレベルが違いすぎる!!」
「俺も一度でいいからそーゆー台詞を言ってみて〜!」
と、そこへ。
がらり、と音をたて、教室の戸が開いた。
ひょこっと相変わらず呑気な表情で顔を出したのは、彼らの担任の土井半助である。
あーあ、間の悪いところに来ちゃって…と平太はその若き新米教師を見た。
「何を騒いでんだ、お前ら?……あ、あったあった。教科書ここに忘れちゃってさ」
そう言って頭を掻きつつ教卓の教科書を手に取った半助に、すかさず生徒達から声がかかる。
「あ、先生、ちょうどいいところに!質問がありまーす!」
「なんだ?」
「○×崩しと、△%返しって、どっちがイイんですかー?」
その露骨な質問に、ぼっと瞬時に半助の顔が沸騰した。
「なっ、なっ、何を言ってんだお前達…!?」
「えー、純粋な勉強ですよ。ほら、これ、テキスト」
と、本を半助の顔の前に大きく広げる。
「うわーっ。な、なんてものを教室に持ち込んでんだよ!!」
「だから勉強ですって。それより教えてよ、先生。どっちがイイんですか?先生なら知ってるでしょ?」
やいのやいのと完全に遊ばれている半助を、窓枠に寄りかかりながら平太は眺めた。
「…助けてやんなくていいのか?火薬委員長殿」
平太が隣の明秀をちらりと見る。
明秀は火薬委員長で、半助はその顧問だった。
「別に大丈夫だろ、いじめられてるわけじゃなし。愛されてるだけさ。半助ちゃんだって少しはこういう空気に慣れた方がいい。気になるんならお前が助けてやったら?学級委員長殿」
たしかに明秀の言葉にも一理ある。
こういうのは、教師という職業には必ず付いて回るものだからだ。
だが、調子に乗った級友達に囲まれ真っ赤な顔になってしまっている半助は、やはりちょっと可哀想に見えた。
出会いが出会いだったせいか、この担任教師は平太に放っておけない気持ちを起こさせるのだった。
仕方ない…。
助けてやるか。
平太は軽く溜息をつき、輪の中に入っていった。
「先生。窓の下でヘムヘムが呼んでいますよ。学園長先生の用事じゃありませんか?」
「えっ?……あぁ。わかった」
明らかにほっとした顔で、半助が息をつく。
「じゃあ、お前達、これ没収な」
そう言って本を取り上げることは忘れずに、半助は足早に教室を出ていった。
平太も続いて、廊下へ出る。
背後では「ええっ!!!そんなぁぁぁ!!」と悲痛な絶叫が上がっていた。
廊下を並んで歩きながら、半助が平太の顔を見る。
「ヘムヘムが呼んでるって…」
「もちろん嘘ですよ」
「やっぱりそうか…。助かった、ありがとう、平太…」
「いえ。あいつらも調子に乗りすぎてましたから。でも、先生があんな反応をするから、あいつらが悪ノリするんですよ。からかってるだけなんだから、さらっと流せばいいんです」
「…それができれば苦労しないよ…」
そう言って、半助はへにょっと情けなく眉尻を下げた。
そんなところが半助が生徒達に好かれる所以でもあるが……、にしてももうちょっとどうにかならないものだろうか、と平太は思った。
「先生、そんなで任務のときはどうしてたんですか?」
「任務は別だよ。仕事だって割り切れば、素を消すことはできる。でも、お前達とはそういう付き合いはしたくないから……」
「……」
そうやって要領よく振舞えないこの担任が、やっぱり自分も好きだなと平太は感じた。
「ところで、先生。その本、どうするんですか?」
ふと思い出し、半助の手の中の本を指差す。
すると半助は、再び顔を薄赤くした。
「処分するよ。決まってるだろ」
「ふーん…。先生がもらっちゃえばいいのに。先生、彼女いないんだろ?それ結構リアルだったし、オカズくらいにはなる…いてっ!!」
平太が言い終わる前に、半助がまるめた本でばしっとその頭を叩いた。
「…っそんな心配は無用だ!!」
言い捨てて、半助は廊下を歩いて行ってしまった。
、、、耳まで真っ赤にしちゃって。
任務は別と言っていたが、ほんとうにあれで忍者していたのだろうか?
随分と初心な反応を返す七歳上の担任教師の後ろ姿を見送りながら、まったく可愛いなぁと平太はくすりと微笑んだ。