ぐぅぅぅぅぅ。

 「……」

 (――腹、へったな)

 ちょうど山の峠に差し掛かったところで盛大な鳴き声をたてた腹の虫は、時がすでに昼をまわっていることを半助に告げていた。
 今日は学園長の遣いで早朝に学園を出て金楽寺へと行ったため、朝餉もとっていない。
 そもそもこんなに戻りが遅くなる予定ではなかったのだ。
 文を届けたらすぐに引き返すつもりだったのに、帰ろうとしたところを暇で仕方がなかったらしい和尚に引きとめられ、結果、和尚が満足するまで延々と説教を聞かされる羽目となってしまったのである。

 (こんなことなら遠慮などせずに寺で昼を馳走になればよかった…)

 そんなことを考えながら情けない音をたてる腹から顔を上げると、道の先の木陰に『美味しいお団子』と書かれた幟がひらひらとはためいていた。

 ……。

 半助は、とてとてとまっすぐにその旗を目指して歩いて行った。




 よもぎ、みたらし、つぶ餡、こし餡、白みそ餡――。
 屋台の木箱に賑やかに並ぶ串団子は、どれもみんな旨そうで。
 どれにしようかと散々迷った末によし、と決め、「白みそ餡をひとつください」と言ったところで、半助はある重大な事実に気がついた。
 あろうことか、銭を全く持ってきていなかったのである。
 ちょっと文を届けにいくだけのつもりだったので、こんなことになるとは思いもよらず、財布は学園に置いてきてしまったのだ。

 「はいよ、お客さん」

 「……」

 鼻先に差し出された一本の団子を前に、半助はへにょりと眉を下げた。

 「すみません…、持ち合わせがないので、やっぱり結構です…・・」

 そしてきゅるるる…と未練がましく鳴る腹を押さえて去ろうしたとき、半助と入れ違いに「親父さん、これ頂戴」と明るい声がした。
 見ると、半助と同じくらいの歳の青年が、やはり白みそ餡を指さしている。
 店の親父から団子を受け取った彼は。

 「はい、どうぞ」

 にっこりと笑って、それを半助の前に差し出した。
 半助はわけがわからず、きょとんと目の前の団子を見つめた。

 「…え?」

 「あんな物欲しそうな顔をされたら、誰だって放っておけないって」

 青年は可笑しくてたまらないといった風にクスクスと笑っている。

 「…結構です。見ず知らずの方に恵んでいただくほど落ちぶれてはいませんから」

 むっとして歩き出すと、青年はうしろから追いかけてきた。

 「待てよ。怒らせたなら謝るけど、これはあんたに貰ってもらえないと困る。俺は甘いのは苦手なんだ」

 「……」

 「どうしても受け取ってもらえないなら…、残念だけど捨てるしかないな……。食い物を粗末にするのは非常に心苦しいが……」

 半助はため息をついて、立ち止まった。
 ふり返ると、青年は飄々とした笑顔で、はい、と団子を差し出してくる。
 さっきの殊勝な言葉はどの口で言ったのかと思いながら、半助は渋々それを受けとった。

 「お代は必ずお返ししますから、連絡先を教えていただけますか」

 「いいよ、そんなの」

 「いーえ、絶対にお返しします!」

 はっきりきっぱりと言い切った半助に、青年は、連絡先といってもなぁ…と何故か困ったように首をさすった。

 「じゃあ、あんたの連絡先を教えてよ。こっちから連絡するから」

 「……それは……」

 半助の連絡先。
 それは忍術学園である。
 しかし当然ながら、それをこの青年に教えるわけにはいかなかった。

 「どうしたの?」

 「………」

 急に口を閉ざした半助を青年はしばらくの間見つめていたが、それから、ふぅと息を吐いた。

 「どうやらお互い事情があるようだし、また縁があればそのとき返してもらうから、それまで貸しってことにしないか?」

 ――極めて不本意ではあるが、仕方がない。

 半助に異存がないことを確かめると、じゃ、と青年が背を向ける。

 「あの!」

 半助は慌てて彼を呼び止めた。

 「ん?」

 「……お団子、ありがとうございました」

 右手に団子を握り締めてぼそりと言った半助に。
 青年はすこし目を開き、それからふわりと優しく微笑んで、ひらひらと手を振って去って行った。
 その笑顔はどこか、半助の恋人のそれに似ていて。

 ……。

 半助はなんともいえない面持ちで手の中の団子を眺め、ぱくりと口にした。




 それから六日ほどが過ぎた、次の週末の午後。
 半助は、とある城下町にいた。
 長い髪を萌黄色の紐でひとつに束ね、橙の小袖に山吹色の帯、そして唇には薄桃色の紅。
 そう、ここにいるのは、半助ではなく半子であった。
 というのも半助は今、とある城へ下女として潜入し、小さな工作を行ってきた帰りなのである。
 任務はその工作をしかけるところまでで、その目的も結果も半助は知らない。
 学園長が言わなかったということは半助にその情報は不要と判断したからだろうし、そうである以上特に知りたいとも思わなかった。
 忍びの仕事とはそういうものだ。
 そうして自分の仕事を無事終えた半助は、せっかく外出したのだからと、ぶらぶらと何をするでもなく、初めて訪れたその街を見物していたというわけである。
 と。

 「あれ?あんた、この間の」

 「?」

 知り合いなどいないはずの街で不意にかけられた声に不思議に思って振り返ると、そこにいたのは先日団子屋で会ったあの青年だった。

 「ああ、お団子の…」

 先日は特にどうとも思わなかったが、改めて街中で見ると、彼が非常に端正な顔立ちをしていることに半助は気がついた。
 事実、今も擦れ違う女性達がちらちらと彼の方を振り返っている。
 だが半助の注意を引いたのは、その顔よりも、服装の方だった。
 先日会ったときは、確か商人の恰好をしていたはずである。
 それが今日は、髪型も服装も、あきらかに浪人風のそれであった。

 やっぱり、そうか――。

 半助は、心の中で呟いた。
 先日見たときもなんとなくそんな気はしていたのだが、どうやら彼は半助と同業者のようだ。
 それにしても一度しか会っていないのによく俺だとわかったな、と半助は少しだけ警戒した。
 自分で言うのもなんだが、半助の女装はたとえ同業者であっても見抜かれることは滅多にないからである。
 そんな半助の警戒が伝わっているのかいないのか、青年は屈託なく話しかけてくる。

 「どうやらあんたとは縁があったみたいだな」

 「…先日はどうも」

 半助が軽く頭を下げると、青年は「ふぅん…」と興味深そうに半助の全身を眺めた。

 「あんたって、そういう趣味があるの?可愛いけど」

 「んなわけないでしょうが。仕事です。わかってるくせに意地が悪いですよ」

 「なんだ、俺のこともばれてるってわけか」

 そう言って笑った青年に、初めから隠すつもりなんかなかったろうにと呆れながら、半助は懐から小銭を取り出した。

 「はい、これ」

 「なに?」

 「この間のお代です」

 「ああ。いらないよ」

 青年はそう答えながら、何か気になることでもあるのか、数軒先の呉服屋の方へチラリと視線をやった。

 「借りを作るのはいやなんですっ」

 青年の胸にぎゅっと小銭を押しつけると、青年は再び半助の方に視線を戻し、困ったように苦笑した。

 「頑固だなぁ…」

 「頑固で結構。…って、なんで受け取らないんですか」

 あくまで受け取ろうとしない青年に、受け取ってくれないと私が帰れないじゃないですか!と半助はにらみつけた。

 「そんなことより、そっちの仕事は今日はもう終わったのか?」

 「え?ええ、まあ…。それが何か?」

 人の話を聞け、と思いながら、半助は答えた。

 「なら、団子代の代わりにこっちの仕事につきあってよ」

 「はあ?」

 「尾行は女連れに限る。常識だろ?」

 そう言って、腰を抱かれる。

 「ちょっ、どうして私がそんなこと…!」

 「ちょっとだけだって」

 「待っ…」

 「お、奴が出てきた。ほら行くぞ」

 こっちの言葉を綺麗に無視して歩き出した青年に、半助はとんだ団子代だ…と深く嘆息した。





 「ちょっと、引っつきすぎですよ…」

 「何言ってんの、恋人同士ならこれぐらいしないと不自然だろうが」

 「…っ、どこ触ってんですか」

 「騒ぐなって、怪しまれるだろ。ていうかあんた、どれだけ真面目なんだよ。いまどき女だって、そんなこと言わないぜ」

 「っ…悪かったですね…」

 「別に悪くはないが……ちっ、裏に入りやがった」

 青年が追っているらしき男は、表通りを外れ、細い裏路地へと入っていった。
 人通りが少なく、さらに一本道であるため身を隠す場所が一切ない、尾行には最も不向きな類の道である。
 どうするつもりかと半助はちらりと青年の顔を見たが、青年は気にする様子なく飄々と後を追っていく。
 やがて男は、古びた一軒の長屋に姿を消した。

 「…あの家か?……いや、そんなはずはないんだが…」

 青年の独り言のような呟きに、どうやら彼の任務はあの男の拠点をつきとめることであるらしい、と半助は推測した。
 青年は無言でじっと長屋の戸口を見つめている。

 (…黙ってさえいれば、いい男なんだがな)

 そんなことを思いながら、前方を見据えるその涼しげな眼差しを見上げていると。
 その視線に気づいた青年がふっと半助の方を見やり、悪戯っぽく笑った。

 「これが終わったらちゃんと構ってやるから、それまでいい子にしてな」

 「!?」

 どうしてこの男はいちいち腹の立つことしか言えないのだろうか。
 半助はふんっと思い切り横を向いた。
 もっともそのときにはすでに青年の視線は長屋へと戻っていたのだが。



 それからほどなくして、先刻の男が再び戸口から姿を現した。
 今度はもう一人、別の男が一緒である。
 この家で合流したのだろう。
 しかし後から加わった男の顔を確認した途端、青年が「まず…」と呟いた。

 「?…どうかしたんですか?」

 「いや…」

 男達は元来た道を戻ってきた。
 つまり彼らは今、半助達がいる方に向かって歩いてきていた。
 と、突然、半助の腰にまわっていた青年の手にぐっと力が込められた。
 え、と顔を上げた半助に、青年は少しだけ困ったような笑みを返し。

 「ちょいと失礼」

 そう囁くや否や、半助の体を壁に押さえつけ、口付けた。

 「!?…んん…っ」

 青年が男達に顔を見られたくないのであろうことは、わかった。
 だが、たかが団子一本でここまで付き合ってやる義理は自分にはない。
 こいつの仕事など知ったことか!と抗おうとした半助は、しかし次の瞬間、愕然とした。
 青年は殆ど力を加えていないというのに、どこをどう押さえられているのか、まったく体が動かないのである。

 「ふ…ン…」

 な…んだ、これ…。
 人の身体の急所は、半助だって知り抜いている。
 だけど、こんなのは知らない。
 呆然としている間に、青年は自分の顔を相手から隠すように半助の長い髪に顔を埋め、首筋に口付けてきた。
 ゆっくりと肌を吸われ、掌が半助の体を這う。

 「ン…っ」

 半助はぎゅっと目を瞑った。
 そんな二人を路地裏によくある恋人達の光景とでも思ったのか、男達は大した関心も払わずチラリと好色そうな視線を投げただけで、通り過ぎていく。
 男達が角を曲がり姿が完全に見えなくなってから、青年はゆっくりと顔を上げた。
 壁に押さえつけていた青年の手が半助の体から離れ、同時にふっと体の自由が戻る。

 「悪かったな。痛くなかったか?」

 乱れた半助の髪を軽く片手で梳きながら、青年は言った。
 そのけろりとした様子に、一発殴ってやろうかと思っていた半助の怒りは、矛先を失ってしまう。
 指先ひとつ動かすことができなかった衝撃から、いまだ立ち直れていないせいもあった。

 「…追わなくていいんですか」

 「あの男には俺は顔を知られてるから、無理だ。こんなときのために今頃別の仲間が追ってるから問題はない」

 「そうですか。――じゃあ、私はこれで」

 「あ、ちょっと!」

 もう借りは返したと回れ右した半助の腕を、男の手が掴んだ。

 「なんですか。団子代なら十分すぎるほど払ったと思いますが」

 「仕事に協力してもらった礼と言っちゃなんだけど、うちで茶でも淹れるから寄ってけよ。仲間もすぐに戻ってくるしさ」

 「……よくそんなことが言えますね」

 「え?」

 「……」

 先程の件に関して悪びれた様子を一切見せない青年に、半助はため息をついた。
 あれは彼にとってはあくまで仕事であり、それ以外の何物でもないのだろう。
 ある意味、徹底したプロ意識である。そのことを彼自身が意識してさえいないほどに。
 半助は、そんな青年の素性に興味をそそられた。
 忍びとしての好奇心が疼いたのである。
 彼が並の忍者でないことは明らかだった。得体の知れない、しかも自分が明らかに適わない相手のテリトリーへ行くなど危険この上ないことはわかっていたが、青年に対する興味に抗えず、半助は彼に付いていくことに決めた。
 青年に全く悪意がないことはわかっていたし、また、彼の纏う空気がどこか恋人のそれに似ているせいもあったかもしれない。





 「その辺に適当に座ってくれ」

 「…ここがあなたの“うち”ですか」

 青年に案内されたその長屋の部屋は、わずかな布団と食器が置かれている他は、生活感というものが一切窺えなかった。

 「まぁ正確には、今回の任務のために借りた一時的な“うち”だけどな」

 「…そんな場所に私を連れてきていいんですか?」

 「構わないさ。今奴らを追ってる仲間が戻ってきたら、任務は完了だ。どっちにしろここはもう引き払う予定だしな」

 「……」

 やがて湯が沸き、この家にしては意外に揃っている茶器で茶を淹れている青年の様子を、半助は眺めるともなく眺めた。
 美しい所作だった。
 きっと育ちがよいのだろう。

 「はい、どうぞ。茶」

 差し出されたそれに、半助が手を伸ばすと。

 「あ、」

 青年が何かに気付いたように小さな声を発し、その指先がつと半助の頬の辺りへ伸ばされた。

 「ちょ…」

 「おっと、動かないで」

 そう言って、唇の端に指先が触れ、そっと指の腹を押し当てるようにして拭われる。

 「さっきので、紅がついたんだな」

 「あ…」

 青年の口から何気なく呟かれたその言葉に、思わずふわりと半助の顔が上気した。
 青年はそんな半助をじっと見つめ。

 「……」

 再び青年の手が、半助の頭にまわされる。

 「え…」

 そしてゆっくりと青年の顔が近づいたとき。

 「何やってんだよ」

 入口から響いた低い声に、青年の動きがぴたりと止まった。

 へ…?

 その声は、半助にとって聞き覚えがありすぎるほどある声で。
 吃驚して声のした方を見ると。
 案の定そこにいたのは、正月に会ったばかりの恋人だった。
 青年が苦笑して、す、と半助の体から離れる。

 「ずいぶん早かったな。奴らのアジトはつきとめたのか」

 草履を脱いで上がってきた平太は、青年の問いかけに肩を竦めた。

 「まあな。あの後散々歩き回った末に辿り着いた場所がこの家の真裏っていうんだから、馬鹿にしてるぜ」

 「真裏だって?」

 「そう、裏通りにあるあの青い暖簾の古道具屋」

 「ああ、あれか…。ふぅん…なるほどな。ご苦労だったな」

 そう言って青年が湯呑を渡すと、平太はそれをごくりと一息で飲み、それから怒ったように青年と半助を見つめた。

 「で?一体これはどういうことか説明してもらおうか。なんであんたが半助と一緒にいるわけ?」

 「…“半助”?」

 平太の言葉に青年は眉を顰め、それから半助の方を振り返った。

 「って、この人ことか?なんだ、お前の知り合いだったのか?」

 「俺の、…元教師だ」

 「お前の教師?」

 「ああ」

 「てことは、もしや例のシラサギの一件の…」

 平太が頷くと、へぇ…と青年は意外そうに半助の顔を眺めた。
 だが半助には全く話が見えない。

 「あの、あなたは一体…」

 半助の問いに、青年は改めて居住まいを正し、半助に向き直った。

 「名乗りが遅れて失礼。俺はクロサギ忍隊の斗夜(とうや)という。いつぞやはうちの千影が世話になった」

 「クロサギの…」

 なるほど、と半助は納得した。
 あの城であれば、彼のようなレベルの忍びを抱えていても何ら不思議ではない。
 それに、平太がここにいる理由もわかった。あのシラサギの一件以降、彼はクロサギ城からの仕事をちょくちょく受けているらしいからである。

 「ああ。千影は俺の乳兄弟なんだ」

 そこに、平太が痺れを切らしたように「あのさぁ」と割って入ってきた。

 「自己紹介は結構だけど、まだ肝心なことを説明してもらってないぜ。どうして斗夜が半助と一緒にいるんだ」

 「ああ、それはさ」

 かくかくじかじか。
 斗夜が団子屋の一件から今日のことまでひととおり説明し終えると、平太は呆れたように青年を見た。

 「毎度のことだけど、忍びが誰彼かまわず声をかけてんじゃねぇよ。千影にいつも言われてるだろうが。一緒に組んでる方はやりにくくて仕方がない」

 「は!状況が少し変わったくらいでやりにくいなんて言ってるようじゃ、お前もまだまだだな」

 彼は全く悪びれることなく答え。

 「それに俺は、誰彼かまわず声をかけてるわけじゃないぜ」

 そう言って意味深な視線を投げられて、半助がなぜかどきりとした。
 やはりこの青年は、性格はまるで違うにもかかわらず、纏う雰囲気が平太に非常によく似ている。
 あえて違いをあげるなら、斗夜の方が年齢が上な分、より抜け目のなさを感じさせることくらいか。

 そんなことを思いながら見返していると、斗夜は小さく苦笑を浮かべ、平太に向き直った。

 「安心しろ。お前の大事な人に手を出したりしねーよ。千影に殺されんのはごめんだからな」

 「……」

 「さて、と。俺は城に戻るけど、お前はこのままゆっくりしていっていいぜ。千影には俺から報告しておく」

 そう言って立ち上がり、土間へと降りた後。
 ああそうそう先生、と彼は振り返り、色っぽく微笑んだ。

 「その坊やに物足りなくなったらいつでも俺に言えよ。大人の楽しみ方ってやつを教えてやるからさ」

 「な…っ」

 半助が怒鳴り返すより前に平太の手裏剣が飛び、それをひょいと笑って躱して、斗夜は出て行った。





 つ、つかれた、、、、、。

 ようやく去った嵐に、半助はぐったりと脱力した。
 はじまりは峠の団子一本だったはずなのに。
 それがいつのまにかクロサギやら平太やら出てきてしまうのだから、世の中油断できない。

 「半助」

 「なんだ…?」

 名を呼ばれて重い頭を上げたその途端、半助は体ごと平太の腕の中に抱き込まれた。
 そして間を置かずに唇を塞がれる。

 「ん…っ…」

 「この唇を、あいつに許したの?」

 ………。

 「やっぱり、見てたのか…」

 「当たり前でしょう?俺は斗夜とあの男達の後を追っていたんだから」

 平太は咎めるように、半助の唇を食んだ。
 幾度も柔らかく歯をたて、甘噛みされる。

 「ふ…」

 そして僅かに唇が離されたとき、…動けなかったんだよ、と半助はぽつりと呟いた。

 「え?」

 「あのとき俺は…、まったく、指一本、動かすことができなかったんだ」

 「……」

 視線を下げたまま黙った半助を、平太はじっと見つめた。

 「……初めて斗夜と組むことになったとき、斗夜の実力はクロサギで一番だって千影が言ってた」 

 そう言って、平太は半助の体を腕の中で抱き直し、首筋に顔を埋めた。

 「…あいつ、俺に似てる?」

 「え?」

 「よく言われるんだ、俺と斗夜は似てるって…」

 「…」

 「あいつが男でも女でも仕事に巻き込むのはいつものことだけど、家にまで連れて帰ったのは今日が初めてだった。きっと半助のことが相当気に入ったんだ…」

 ……。

 「平太」

 半助は静かに平太の顔を上げさせた。
 すこし不貞腐れたようなその表情はなんだかひどく可愛らしく、半助は知らず微笑み、それからそっと唇を重ねた。
 彼からの口付けをせがむように小さく唇を開くと、望んだとおりに口付けが返される。
 滑り込んでくる温かな舌。

 「ぅ…ン…」

 安心感とともに上がる、鼓動と体温。
 その感覚に、半助の体はふるりと震えた。

 「ん……」

 はぁ、と唇を離すと、透明な唾液が二人を繋ぐように細く糸を引いて、そして切れる。

 「…確かにお前とあの人はよく似ているかもしれないけど……。俺にとっては、全然ちがうぞ」

 「……」

 「あの人としたときは…こんな気持ちにはならなかった…」

 「こんな気持ち…?」

 指の背でそっと唇を撫でて聞き返されて、半助は頬を赤くした。
 それから再び口付けられ。
 首筋に薄く残る痕の上に、平太の唇が這う。
 半助は甘い吐息を零して、きゅ…と平太の着物を掴んだ。

 「半助…」

 「ん…?」

 「明日は、休み?」

 「あ、ああ」

 「もし今夜学園に帰らなくてもいいなら…」

 「…」

 「泊まっていけよ」

 半助は、黙って頷いた。





 「ン…っ」

 ずりあげるように体を押し倒されて、服が肌蹴られる。

 「ン…ふっ…」

 平太の手で少しずつ肌を露わにされながら、ふと、半助は僅かな違和感を覚えた。
 いつもと、何かが違うのである。
 一体何が違うのだろうと改めて自分達の姿に目をやって。

 (ぁ…)

 半助は違和感の正体を知った。

 …そうだ。
 今日自分は、女の恰好をしていたのだった。
 長く垂らした髪、薄く施した化粧、女の香、そして女の着物――。
 こんな恰好で平太に抱かれたことなど…、ない。
 と、困惑している半助の様子に気づいた平太が、手をとめて、半助の顔を見た。

 「どうしたの?」

 「……」

 半助は無言で、橙色をした自分の着物をぎゅっと握り締めた。
 その仕草で半助の戸惑いの理由がわかったのだろう。
 平太は何かを考えるようにしばらく黙ったあと、半助の体から静かに手を引いた。
 そして、困惑で揺れている半助の瞳を優しく覗き込む。

 「この恰好では、嫌?」

 「……」

 答えられないでいる半助の頭を、平太は子供にするようにくしゃりと柔らかく撫ぜた。

 「半助が嫌なら、やめるよ…」

 とてもやめられるような状態じゃないだろうに、そんなことを言う。
 だが今、半助が本気で嫌だと言ったら、この恋人は本当にやめるのだろう。

 半助は、苦笑した。

 「いや、いい…。構わないから、つづけて…」

 男とか、女とか。
 そんな理由で彼が半助を愛しているのでないことは、よくわかっているから。
 再び覆いかぶさってきた重みを全身で受け止めて、半助ははぁ…と熱い息を吐いた。

 「平太…」

 「ん…」

 「――好き、だよ」

 「……」

 胸のところで小さく息をのんだ気配がして、赤い顔が上がる。
 半助を見つめる、呆れたような表情。

 「…なんだよ」

 「半助、今この状況でそんなことを言って、どういうことになるかわかってるの」

 「……」

 「ただでさえ、今日はあいつのせいで抑えがきかないっていうのに」

 半助は、そんな恋人をじっと見つめ返し。
 それから、柔らかな微笑を浮かべて、静かに目を閉じた。

 「……いい…よ…」

 「…」

 「…お前の、好きに…」

 言葉の続きは、熱い唇で塞がれた。






 おなじ頃。
 クロサギ城の一角、忍者隊控室では。
 任務の報告より遥かに長く詳細に半助の可愛らしさを語った斗夜が、千影に怒鳴られたとか、いないとか。








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最近はずっと安全圏で甘々どっぷりだった二人に、今回はちょっぴりスパイスを投入してみました。
イケメン揃いなクロサギ忍隊(←別名オリキャラ忍隊)は、書いていて超楽しいです。
ちなみにこのお話の年齢設定は、半助26、平太19、千影26、斗夜25。
半助より強く、しかも自分に似ている斗夜に、平太は気が気じゃないことでしょう。
一方斗夜にとっては、平太はからかいたくなる可愛い弟のような存在です。
こう書くと平太が全然負けている感じですが、半助は平太のことが大大大好きなので、結局ノープロブレムだったり。