「…や…ぁ…っ」
そんな甘いだけの拒絶は容易く唇で封じられ、震える背をきつく抱き締められる。
そのまま動きを止められて、ぎりぎりまで高められていた体はもう限界で――。
「ん……ンンーーッ!」
体の奥で弾けた甘すぎる痺れに、半助は自分を抱くその背に強くしがみついた。
「はぁ…はぁ…・・」
ぐったりと弛緩した手足を投げ出し、乱れた息を整えていると、横から伸びてきた手がそっと頬に触れた。
「…?」
親指で柔らかく眦を拭われて、半助は自分が涙を流していたことに気付く。
といっても、それは行為がもたらした生理的な涙にすぎず、もちろん平太だってそれはわかっているはずで。
それでもなお、優しく愛おしげに触れてくるその指は、なんだかひどく半助を安心させた。
昇りつめても身の内に籠るような熱は引かず、汗となって絶頂の余韻が残る肌を伝う。
それはこの季節のせいとわかってはいても、いまだ情事の気配の濃厚な纏わりつくような部屋の空気と相まって、妙に淫靡に感じられ、半助はそれを払うように大きく息を吐いた。
…喉が、渇いたな。
とはいえ起き上がるのも億劫で気だるい体を持て余していると、隣で同じように横たわり半助の髪を弄んでいた平太が、体を起こした。
「あつ…」
そう小さく呟いて、脱いだまま放られていた着物を無造作に羽織り、適当に帯を結びながら土間へと下りて行く。
何をするつもりかと目だけで追えば、なんてことはない。
柄杓に水を掬い、ごくごくと美味そうに飲んでいる。
…なんだ、あいつも喉が渇いてたのか。
もともと無駄な動きの少ない平太だったが、卒業してからはそれが一層磨かれ、ただ水を飲んでいるだけにもかかわらず、その流れるような所作の美しさは自然と半助の目を引き付けた。
黙ってその様をじっと見ていると、平太は茶碗に水を満たし、半助の枕元へと持ってくる。
「半助も飲む?」
「ああ」
だが起き上がろうとした半助の肩を、平太はにこりと笑って軽く押し戻した。
………。
今この状況で平太のしたがることなんて、考えを巡らすまでもなく、ひとつしかない。
…まぁ、今更か…。
半助は小さくため息を吐くと、素直に仰向けになり、薄く唇を開いて、静かに降りてくるその唇を迎えてやった。
ゆっくりと、冷たい水が流し込まれる。
…ごくり
渇いた喉を潤してゆくそれは、思いのほか美味しく感じられ。
「ん…もっと…・・」
そう口にした途端、半助は己の言葉にひどく狼狽した。
欲しているのは水以外の何物でもないのに、なんだか他のものをねだっているようで、変な気分になる。
……口移しなんて今更だったが、これは……。
平太はちらりと半助の顔を見ると、半助の頬を一度撫で、再び茶碗に口を寄せた。
そして、ゆっくりと唇が重ね合わされる。
「ぅん…」
ぴくりと震えた半助の体を、平太はやんわりと抱き締めた。
ひんやりした掌が、汗でじっとりと湿った肌を静かに這う。
「…っ…ん…」
まだ達して間もない体は、そんな僅かな刺激にさえ敏感だった。
だが平太はこのまま行為に繋げようというつもりはないらしく、ただゆったりと優しく半助の体を撫でる掌の感触は、昂ぶった半助の心と体に凪いだ水のような安らぎを与えてくれた。
快楽の余韻と、甘い痺れと、安心感…。
気持ち、いい――
「そ?なら、よかった」
!!?
明るい声が返ってきて、半助はぎょっとした。
し、しまった…!
あんまり心地よかったものだから、思わず口に出てしまった…。
半助の内心の動揺に気付いているのかいないのか、平太は変わらず半助の体を緩やかに愛撫しながら、言葉を続けた。
「大丈夫かなって、少し心配だったんだ」
「…心配?…何がだ?」
首を傾げた半助に、平太は小さく微笑んだ。
「…久しぶりだったから」
「…」
平太が何のことを言っているのかがわかり、半助の顔にかぁっと血が上る。
平太は、半助の体のことを言っているのだ。きつかったのではないかと。
久しぶりの、行為だったから――。
「だ、大丈夫だ」
「うん。安心した」
そう言って、平太は笑った。
その笑顔は、半助を少しだけ落ち着かなくさせる。
最近よく、平太はこういう顔を見せるようになった。
愛しいものを見守るような、深い、大人の表情。
本人は気付いていないようだが、生徒のときは決してしなかった表情だ。
平太が具体的にどんな仕事をしているのか。言葉や態度の端々から窺うことはできても、詳しい内容まで半助は知らない。それは忍びであれば当然のことで、半助だって彼に話していないことは沢山ある。だからもし平太が自身の任務内容をペラペラ話して聞かせなどしたら、それこそ教師であった自分はがっくりきてしまうだろう。
だがそれでも、以前よりずっと精悍さを増した顔は彼が今大きなものを乗り越えつつあることを如実に物語っており、逢う度にどんどん成長していくそんな姿を元教師として頼もしく感じながらも、恋人としての半助は戸惑いを隠せないでいた。
少しだけ硬さを増した掌が、半助の汗に濡れた前髪をそっと掻き上げる。
愛しいという気持ちを隠すことなく、真っ直ぐに見下ろす目。
こんな目を向けられると、半助はいつもの調子で言い返すことができなくなってしまう。こんな平太にどう接すればいいのか、半助はまだわからないのだ。
当惑したままじっと見つめていると、苦笑された。
「そんな顔されたら、無理しちゃいけないってわかってるのに、無理したくなる…」
囁きとともに、裸の背に両腕が絡んでくる。
反射的に、半助はくぐもった声で言い返した。
「大丈夫だって、言っただろ…」
「半助?」
顔を、覗きこまれる。
「…っだ、だから……、無理なんかじゃ、ないから……」
…ないから……もう一度…………。
………。
あれ…・・?
う…、うわぁ!!
俺、何を言って……!
ようやく自分の言葉の意味を理解してしまった半助は、な、なんでもない!と真っ赤な顔で叫ぶと、ぶんっと平太の腕を振り払って頭から布団をひっかぶった。
「もう寝る!」
平太に背を向けて布団の中から言い捨てると、平太がくすりと笑ったのが気配でわかった。
「これ、暑いだろ?暑がりなんだから、無理すんなよ」
そう言って引きはがされそうになった布団を、半助はぐいっと力一杯引き戻す。
「無理してないっ。寝るって言ってるだろ!邪魔すんな!」
「はいはい」
平太は笑って半助の頭を布団の上からぽんぽんと叩くと、そのまま布団から零れている半助の後ろ髪を指先でくるくると弄び始めた。
……。
こいつはわかっているのだ。
このまま待っていれば、俺が自分から顔を出すことを。
そんな余裕も、今はなんだか面白くない。
一年前の夜には、お預けを食らった犬ころみたいな顔で俺を見ていたのに。
…ずるいじゃないか。
自分だけ、勝手にどんどんどんどん変わっていっちまって……。
くそー、俺だって!!
………………しかし、暑い………………。
一体何に腹を立てているのか段々わからなくなってきた半助が、降参して布団から顔を覗かせるのは、もう時間の問題だった。