忍術学園の新学期がはじまってふた月ほどが過ぎたその日。

 「したがって・・・、ええっと」

 六年は組の教室には、チョーク片手に黒板と睨めっこし、頭の中を整理するように必死に言葉を繋ぐ新米教師と、それを根気強く見守る九名の忍たまの姿があった。

 しかし。

 「あ、あれ・・・?」

 教師は散々うんうん唸った末に、首を傾げてしまった。
 どうやら頭の整理は失敗に終わったようである。
 と同時に、幸か不幸か、授業終了の鐘の音が響き渡る。

 彼は、ばんっと両手を合わせ、頭を下げた。

 「っす、すまん!明日にはちゃんと説明できるようにしておくから!」

 「先生、ドンマイ!」

 原因となった質問をした生徒は笑顔で慰めの言葉を送り、残りの生徒達も屈託なく「ありがとうございました〜!」と一礼して、放課後の予定を楽しげに話しながら次々と教室を出て行った。

 後には。
 新米教師がひとり、ぽつんと項垂れていた。





 半助が教師になって最初に思い知らされたこと。
 それは、いかに自分の中で百パーセント理解していても、それを言葉で生徒に説明できなければ何の意味もない、ということであった。
 毎晩睡眠時間を削り必死に準備をしていっても、授業中に予想外の質問が飛び出すのは日常茶飯事で。
 そんな事態に柔軟に対応するのも教師の仕事であるが、こればかりは努力や熱意でどうなるものではなく、経験を重ねるうちに自然と身についてくるもの。
 そして教師になってまだふた月足らずの半助には、そういった経験が決定的に不足しているのだった。





 放課後の校庭で、賑やかにサッカーをしている生徒達。
 そこからすこし離れた青々と茂る木の下で。
 どよーん・・・と座り込む黒い塊がひとつ。
 それをある者は気味悪そうに、ある者は好奇心を隠そうとせず覗き込みながら、通り過ぎてゆく。

 「なんだ、鬱陶しいものが転がってると思ったら、先生じゃないですか」

 ふいに頭上から降ってきた明るい声に、黒い塊――半助は、ゆっくりと顔を上げた。
 そこにいたのは、六年は組の学級委員長。
 自己嫌悪に陥っている半助が、いま一番見たくない顔のひとつである。

 「わるかったな、鬱陶しくて・・・。こんな鬱陶しい奴は放っといてくれていいぞ」

 「可愛くないなあ」

 「二十二の男が可愛くてたまるか」

 ふんと不貞腐れて横を向いた半助に、平太が苦笑する。

 「困った先生ですね」

 「お前に言われなくても、自分が一番わかってるよ」

 そう言って、半助は再び黙り込んだ。
 正直今は、この少年と話していることさえしんどいのだ。
 平太はしばらくそんな担任を眺めてから、ふぅ、とひとつため息をつき。

 「じゃあご希望どおり退散しますけど。その前にちょっと口をあけてください」

 「・・・口?」

 「ええ。あーんって」

 「・・・」

 半助は不審そうに目をぱちぱちさせ、それでもあーんと口を大きく開けた。
 なんだかんだ言って、素直なのである。
 と、平太が微笑んだ気配がし、それからコロンと小さな丸いものが口のなかに放り込まれた。

 「ん・・・」

 じわり。
 舌の上で、甘く甘く溶けるそれ。

 ・・・・・砂糖?

 氷みたいな。
 でも冷たくはなくて。
 はじめての、でもちょっと懐かしい味。

 「――うまいな」

 舌の上で雪のように儚く消えてしまったそれを、惜しむように半助はつぶやいた。
 すると。

 「はい、これ」

 ぽんっと、掌にきれいな小箱が載せられる。

 「え?・・・・っわ・・・・・」

 そこには――。

 たくさんの色、色、色。
 小さな突起のある花の形をした半透明の粒が、彩り豊かに箱いっぱいに詰まっていた。
 まるでそこにひとつの小さな世界があるかのように。

 半助は瞬きも忘れて、それに見入った。


 「綺麗だな」

 「金平糖っていう、南蛮の菓子だそうですよ」

 「こんぺい、とう?」

 箱の中を見つめたまま子供のように繰り返した半助に、平太が可笑しそうに笑う。

 「ええ。どうしてこんな形になるのか職人にもわからないそうで、向こうでは“魔法のお菓子”って呼ばれているそうです。先日街で見かけて、あんまり綺麗だったので思わず買ってしまったんですが」

 「へぇ・・・」

 半助が飽きることなくそれを眺めていると、じゃあ俺はこれで失礼しますね、と言って平太が背を向けたので、半助は慌てて「あ、これ!」と箱を差し出した。
 平太はにこりと笑う。

 「先生にあげます」

 「え、でも」

 「これから図書室に行かなきゃならないんで。菓子を持って入れませんから」

 そう言って軽く本を掲げて見せ、平太は去っていった。





 半助は、掌のなかの小さな、けれど持ち歩くにしては大きなその箱を改めて見た。
 そして、先刻あれほど沈んでいた気持ちが、不思議なほど浮上していることに気付く。

 遠い異国からやってきたという不思議な菓子、こんぺいとう。

 “魔法の、菓子”?

 ・・・・・いや。

 半助は小さく微笑んで、黄緑色の粒をひとつ摘み、口のなかに放り込んだ。

 魔法みたいなのはむしろ――。

 優しく爽やかな甘味が、半助の口いっぱいに広がった。












平太は金平糖をいつも持ち歩いていたわけではありませんよー(どんなスイーツ少年だ)。
落ち込んでいるであろう新米教師のために、わざわざ部屋に戻って取ってきたのです。
でも恋愛感情はありません。

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