平太が学園にほど近いその街に越してきたのは、半助が突然彼の家を訪ねたあの夜から、まもなくだった。
 それにより二人の逢瀬の機会は格段に増えたのだったが、一方で、フリー忍者としての足場を着々と築いている彼への仕事の依頼も以前より確実に増えており、逢瀬が日帰りとなることも少なくなかった。

 その日もやはり互いの予定がうまく合わず、午前中は平太が仕事、翌日は半助が仕事という、忙しない合間を縫っての逢瀬となった。



 (昼までは仕事だって言ってたけど、いるかな、あいつ?)

 半助が平太の家に着いたのは、約束の時間よりもいささか前。
 夜には再び学園へ戻らねばならない半助は、すこしでも長く平太との時間を過ごしたかったため、ついつい早めに出てきてしまったのである。
 見ると、入口の戸がほんの僅かに開いている。
 どうやら恋人は既に帰宅しているらしい。
 半助は口元を綻ばせ、深く考えることなくガラリと勢いよく戸を引いた。
 そして。

 「平、………!?!?」

 目の前に現れたその衝撃的な光景に、半助は瞬きも忘れ仏像のように固まった。

 そこには。

 平太に後ろから抱きかかえられるように座る、上半身裸の、若い娘。
 こちらに横顔を向けていた彼女は、突然登場した半助にぱちりと瞬き、それから「ぁ…」と小さく呟いて赤い顔で着物をふっくらとした胸元まで引き上げた。

 「っ………し、失礼!!」

 たっぷり数秒の後、ようやくそれだけを言い、半助は家の外に飛び出して、ばしんっと戸を閉めた。
 ばくばくと喧しく鳴る心臓を手で押さえながら、家の壁に背を預け、目を閉じる。

 と。
 カタリと音がして、戸が内側から開かれた。
 ひょこっといつもと変わらぬ表情で顔を覗かせたのは、恋人の平太。

 「すみません、ちょっとだけここで待っていてもらえますか?すぐに終わるから」

 彼は申し訳なさそうにそれだけ言うと、半助が答える間もなく、すぐに家の中に引っ込んでしまった。
 すとん、と再び目の前で閉じられる戸。
 半助はそれを呆然と見つめ。

 「………」

 それから、ぽてぽてと、今来た道を戻るように歩き出した。






 ぴっ、ぴっ、ぽちゃん。

 ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぽちゃん。

 平太の家からほど近い、シラタキ川の河原。
 賑やかに小魚捕りをしている近所の童達から少し離れた岩に腰かけ、半助は指先から軽く小石を放った。
 それは浅い水面から不規則に顔を出している岩に次々と綺麗に跳ね返り、最後に小さな水音を立てて水底へと沈んでいった。
 半助は再び足元から小石を拾い上げ、掌の中でころころと転がしたあと、ひゅんっと放つ。

 ぴっ、ぴっ、ぴぴっ、ぽちゃん。

 適当に放たれたように見えるそれは、やはり完璧な軌道を描いて全ての岩を制覇し、水中へと沈む。
 半助は陽の光にキラキラと反射する水面を眺めながら、先ほどの光景を思い出していた。

 くノ一特有の、しなやかな筋肉のついた体。
 肩から背にかけて斜めに入った刀傷。
 その体にまわすようにかけられた平太の手に握られた晒。
 床の上に散らばった薬草――。

 それらを見れば、それが紛れもない治療の光景であることはすぐにわかった。
 半助だって、全裸のくノ一の治療をしたことも幾度もある。
 それも含めて任務であり、そのときに相手の性を意識したことは一度もない。
 だから、平太とあのくノ一の間にも特別なことは何もないことは、半助にも十分わかっているのである。
 わかってはいるのだけれど――。

 (理性と感情は、別なんだよなぁ……)

 ぴっ、ぴぴっ、ぴぴぴっ、ぽちゃん。

 「「「おおー!!!」」」

 ………?

 と、突然近くで沸き起こったどよめきに、半助はきょとんと周囲を見回した。
 するとそこには、鼻たれ小僧どもが半助を囲むようにして座り、じぃ〜っとこちらを見上げていた。

 「おっさん、やるなー!」

 「かっけーじゃん!」

 「それ、やり方教えろよ!」

 ようやく存在に気付いてもらえた彼らは、急に遠慮を捨てわらわらと半助の傍に近寄ってきた。
 どうやら考え事をしながら無意識に様々な技で小石を投げていたらしく、いつの間にか子供達の注目の的になってしまっていたようである。

 「なーなー。教えろよー」

 袖や袴の裾を沢山の小さな手にぐいぐい引っ張られる。

 、、、、、どうして学園の外でまで、子供に纏わりつかれねばならんのだ、、、、、。

 何処まで行っても子供に懐かれてしまう己の宿命に、半助がへにょりと眉を下げたとき。

 「こら、半助」

 こつんと後頭部を軽く小突かれ、振り返ると、平太が呆れたように立っていた。

 「家の外で待ってろって言ったのに。どうしてこんな所でガキなんかに懐かれてるんですか」

 「……あー……えぇと………」

 返す言葉が見つからないでいると、平太は無言で半助の手をとり、子供達の間をすり抜けて歩き出した。

 「…ど、どこに行くんだ…?」

 「どこって、うちに決まってるでしょう?他にどこへ行くっていうんですか」

 「……あの子は、いいのか……?」

 「あの子?」

 「さっき、お前の家にいた…」

 「あいつだったら、手当てが終わってすぐに帰りましたよ」

 「そ…、そうか」

 思わず、ほっと安堵の息が漏れる。

 と。
 平太が急に立ち止まり、少し怒ったように半助の顔を見た。

 「言っておくけど」

 「…」

 「さっきのは俺がよく組むくノ一で、うちに来たのは今日が初めて。今朝の任務で怪我をしたから、現場から近い俺の家で応急処置をした。以上。他に質問は?」

 「べ、べつに俺は…っ」

 「……あれから表に出たら半助の姿がなくて。学園に帰っちゃったんじゃないかって、俺、すごく焦ったんだぜ…」

 そう呟いて、恋人はすこし拗ねたように横を向いた。

 「…平太…」

 半助は俯き。
 繋がれたままのその手を、きゅ…と握った。

 「…ごめん」

 小さく呟くと、平太はちらりと半助の顔を見て。
 それから、仕方がないなぁというように、優しく手を握り返してくれた。





 それから半助は平太の家で遅い昼餉をとり、午後の時間をいつものように雑談をしながらのんびりと過ごした。
 やがて部屋の外の夕闇が深まってきた頃、どちらからともなく、ふたりは互いへと手を伸ばした。
 今日のように夜にはどちらかが帰らなければならないときには、陽が完全に沈む前からこうして抱き合うのが、平太が引っ越してきてからの習慣となっていた。最初は陽の下で抱き合うことに抵抗があった半助だが、それよりも平太と時間を気にせずゆっくりと触れ合いたいという気持ちの方が大きかったのだ。

 「っ…」

 「ここ…?」

 「…ン…」

 脇腹の感じる所を確かめるように撫で上げられ、ぞくりと這い上がったその感覚に半助はきつく目を瞑った。
 なんとかやり過ごすが、唇から零れる息は熱く、もうほとんど喘ぎに近い。

 「…へい…た…」

 「ん?」

 「っ…強、すぎる…。そんなにされると…、もた…ないっ」

 平太は小さく微笑み、少しだけ愛撫の手を緩めた。
 それでもまだ、半助にはきつくて。
 瞼の裏には昼間この場所で見た光景がずっとちらついていた。
 〈嫉妬は最大の媚薬〉――。
 そんな陳腐な言葉が頭をよぎったとき、平太の綺麗に浮き出た鎖骨が半助の目に入った。

 「……」

 半助は上がった息のまま平太の肩に手を置き、ゆっくりと吸い寄せられるように、そこに顔を寄せた。
 鎖骨の下、ちょうど着物でぎりぎり隠れる辺りに唇を押しつける。
 そして目を閉じて、きつくその一点を吸った。
 びく、と平太の肩が僅かに跳ねる。
 少し長めに吸い、それからそっと唇を離して見てみると。

 赤い、所有の、証。


 (――俺の、もの)


 その事実を視覚で確認した途端、予期せず、半助の体がぶるりと震えた。

 「…っ…」

 まだ肝心な場所には一度も触れられていないというのに、体が絶頂を求めはじめている。
 こんなことは初めてだった。

 「ん…っ……、平…太…!」

 そんな自身への戸惑いと、平太に知られることに対する羞恥、そして制御できない欲望がない交ぜになって、半助は助けを求めるように震える手で平太の首にしがみついた。

 「ぅ…ン…っ」

 「大丈夫だよ、半助。そのまま…」

 耳に落ち着いた囁きが吹き込まれ、平太の指がそっと半助の熱に触れたその瞬間。

 「んくぅ…ッ」

 半助は小さく声を上げて、欲望を放ってしまった。




 
 「………………・・」

 ほとんど愛撫らしい愛撫を受けないまま絶頂を迎えてしまった半助は、熱い顔をじっと平太の肩に押し付けたまま上げることができなかった。
 優しく半助の髪を撫ぜる手。
 今日、半助がこんな風になっている理由。それがわかっているだろうに、平太は何も言わない。
 そのことが一層半助の羞恥を増していた。
 そして今、半助の目の前には。
 くっきりと肌に刻まれた、赤い――。

 ……もしかして……。
 ……いや、もしかしなくても……。
 俺は、とてつもなく恥ずかしいことをしてしまったのではないだろうか…・・。

 (……いい歳をして、こんな独占欲の塊みたいな……)

 平太がどう思ったかと思うといたたまれず、半助は消えてしまいたい気分でぎゅっと目をつむった。



 しかし、しばらくたっても平太がうんともすんとも言ってこないので、恐る恐る顔を上げてそぉっと様子を窺うと、そこには。

 これ以上はないというくらいに嬉しそうな、満面の笑み。
 色男が台無しの幸福に溶けきっているその顔に。

 「…おい」

 「なぁに、半助?」

 「ニヤけた顔をしてるんじゃない!」

 ぼすんっと頭をはたいてやっても、まったく効果はなく。

 「えー、だって…」

 そう言って嬉しそうに赤い痕をそっと指先で撫でる仕草に、半助は慌てて言葉を重ねた。

 「そ、それはだな!その、なんだ…」

 「ん?」

 にこにこ

 「はずみで…というか…」

 「うん」

 にこにこ

 「思わず…というか……」

 「うん」

 にこにこ

 「〜〜〜〜〜〜〜…////」


 半助はもうそれ以上何も言えなくなってしまい、再び熱くなった頬を無言で俯けた。

 と。

 丸まった背中にふわりと両腕がまわされ、柔らかく抱き寄せられる体。

 「――俺は、半助のものだよ。ようくわかってるくせに」

 「……」

 「とっくの昔から、全部」

 半助は、そっと顔を上げた。

 「……全部……?」

 そこには優しく、半助を愛おしくてたまらないというように見つめる目。

 「ああ。体も、心も、全部」


 全部。

 俺の―――。






 「……つづき……」

 半助は、低くぼそりと呟いた。
 怒ったような響きになってしまったのは、もちろん照れ隠しである。

 「?」

 「っ…だから…、つづき!まさかあれで終わりにするつもりじゃないだろうな、お前!」


 「―――まさか」

 不敵な色っぽい笑みとともに、抱きこまれる体。
 首筋への口付けに、半助の口から甘い吐息が零れる。





 恋人たちの夜は、まだまだはじまったばかり。









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いつも涼しい顔をしてる半助にも独占欲はあるんです、というお話。
平太、めっちゃ幸せそうですねー。
タイトルは例によって同名の曲からいただきました。