野山の木々が日毎に色を深めつつある秋晴れの午後。
出張からの帰り道、半助は一休みをすべく街道沿いの団子屋に立ち寄った。
今回の出張は珍しく十日と長く、やはり疲労がたまっているのか、甘いものを口にしたくなったからだ。
ここまで来れば、忍術学園はそう遠くない。
店先に置かれた竹の縁台にふぅと腰掛けると、間もなく四十前後の女性が茶を載せた盆を片手に中から現れた。
「いらっしゃい、お兄さん。今日は気持ちのいいお天気ねぇ」
愛想よく茶を置く女性に、半助も笑顔を返す。
「ええ、本当に」
「ご注文は、何になさいますか?」
「えーと、、、団子を一皿いただこうかな」
「お団子一皿ね。すぐにご用意しますから、お待ちくださいねー」
女性はそう言って暖簾の奥に引っ込み、続いて、
「おタキちゃーん。外のお客さまにお団子を一皿お出ししてちょうだーい」
「は〜い」
という声が聞こえてくる。
感じのいい店だな、と気分よく秋の柔らかな風に吹かれながら、半助は熱い茶を一口啜った。
今回の出張の目的は、東の小国で起きた戦の見分と、その戦況報告であった。
遠い地方のことであっても思わぬ所に思わぬ火を飛ばすのが戦である。
従って忍術学園も逐次教師を派遣し、戦況を把握しておく必要があった。
のんびりと流れる雲を眺めながら、この同じ空の下で戦が起こっているなんて嘘みたいだな、と半助は思う。
それにしても美味い茶だ、と満足げにずず…と啜っていると、
「お待たせしました〜」
綺麗な女の子が団子の載った皿を持って現れた。
「……」
「……」
ぶぶっ!!!
半助は、盛大に茶を吹いた。
「おまっ、へ、へい…っ」
「“タキ”です。格好いいお兄さん」
そう言ってにこりと笑いかける美少女は、まぎれもなく半助の恋人の多紀平太。
(…はっ。いかんいかん、そうだった。こいつの女装を見たのは初めてだったから、つい取り乱してしまった、、、)
忍者が女装をしているということは、当然何らかの任務が関係しているはずである。
すぐに衝撃から立ち直った半助だったが、そのときには平太はさっさと団子を置いて他の客の接客にまわっていた。
半助の隣の縁台に腰掛けた若い男が、気易く平太に声をかける。
「おねえちゃん、新入り?」
「はい。昨日からこちらでお世話になっておりますタキと申します」
「おタキちゃんかあ。可愛いなあ」
男は平太の体を上から下までにやにやと舐めるように眺めた。
(……あの野郎……俺の大事な生徒をいやらしい目で見やがってっ。一体何を想像していやがるっ!!)
男の視線を平然と流している平太とは対照的に、半助は娘の彼氏を前にした父親のごとく拳を震わせた。
“俺の大事な恋人を”でないあたり、平太が知ったらがっくりするに違いない。
それにしても。
(――可愛いな)
半助の頭に、先程の男と全く同じ言葉が浮かんだ。
山吹色の小袖からすらりと伸びた手足。
後ろで緩くひとつに結われた艶やかな髪。
少し気の強そうな涼しげな目元。
形の良い唇には薄く紅が引かれ、忙しなく動いているせいか頬が桜色に上気している。
しばらくの間ぼう…と眺めていた半助だったが、不意にはっと我に返り、ぶんぶんと頭を振った。
(あぶないあぶない、これじゃあ女生徒に見とれる淫行教師と何も変わらん)
このままここにいても何か手伝えるわけでなし。
半助はさっさと団子を食って立ち上がると、勘定を済ませた。
「まいど〜」
笑顔でちゃりんと半助の手に釣りを乗せ、平太は店の中へと戻って行った。
しばらく歩いたところで半助は立ち止まり、右手を開く。
そこには釣り銭が数枚と、小さく折り畳まれた白い紙。
中には一言。
『四半刻後。高田屋前』
高田屋というのは、ちょうどここと忍術学園の真ん中に位置する街中にある甘味屋である。
(……)
半助は、ぽりぽりと頬を掻いた。
それからきっちり四半刻後。
半助は高田屋前にいた。
すると、
「先生!」
人混みの中からひょこっと平太が姿を現した。
予想はしていたが、やはり女装のままである。
こうして街中で見ると、その美少女ぶりはさらに際立った。
男女問わず多くの人間が振り返るが、本人はこの手の視線には慣れているのか、全く気に留めている様子はない。
「お前、仕事は?いいのか?」
「はい。今日の分はもう終わりましたから」
駆けてきたらしく、わずかに息が上がっていた。
「実習?」
「ええ、そうです。山田先生の。一週間あの店で働いて、街道を通る商人達から他国の情報を得るんですが。ま、それよりも女装の腕を磨くのが今回の真の目的のようですよ」
可笑しそうに言う。
それから平太は少しだけ改まって、
「十日ぶりですね。ご出張、お疲れ様でした」
と頭を下げた。
「あ、ああ…」
いつも言われている台詞だが、可愛い女の子の姿で言われると、どうも勝手が違い調子が狂う。
半助の内心を読んだように、平太がくるりと愛らしく回ってみせた。
「どう、これ?山田先生には化粧が薄すぎるって毎回怒られるんだけど」
もちろん伝蔵ならそう言うだろう。
半助は可笑しくなる。
伝子さんから見れば、どんな化粧だって薄化粧になるに違いないのだ。
「大丈夫。すごく可愛いよ」
半助は笑顔で言った。
心からそう思ったからである。
すると平太は、一瞬ぼう…とした後、突然さっと視線を逸らし、片手で口元を覆い黙り込んでしまった。
「………」
心なしか顔が赤い。
半助は首を傾げた。
「平太?どうかしたか?」
「……先生って……、天然だよな……」
「は?」
「…いや、なんでもない…。そんなことより!」
平太は、するりと半助の腕に自分の腕を絡めた。
「うわっ」
慌てる半助に、平太が楽しげに言う。
「デートしようぜ、デート!」
「デ、デートぉ?」
「ああ。こうやって先生と街を歩ける機会なんて滅多にないもんな。先生じゃなくて俺が女装っていうのがすげー残念だけど」
「デート、ねぇ」
「それとも先生、急ぐ?出張の報告」
「いや、今日中に帰ればそれは構わんが…」
「なら、先生が俺をお持ち帰りしない限り、問題はないな」
と平太は悪戯っぽく流し眼をした。
「お持…、んなことするかっ!」
「どうかな?自慢じゃないけどこの姿で落とせなかった男は今までいないぜ?」
でも先生にならお持ち帰りされてやってもいいな…、とわざと小首を傾げて甘えるように平太は微笑んだ。
半助はその頭をぱこんと軽くはたくと、
「で?まずは何をするんだ?」
と聞く。
「付き合ってくれんの?」
あれだけ言っておいて何を今更。
「まあな」
それに半助だって、平太と街を歩けるのはやっぱり嬉しいのだ。
それからは、平太の行きたい場所へ半助が付き合ってやる形となった。
芝居小屋を覗いたり、甘味を食べたり、切らしてしまったという炭を買ったり、忍具を磨く油を買ったり。
デートというには微妙な場所も含まれているが、平太は珍しくはしゃいでいるように見え、思っていた以上に楽しそうなその様子に、付き合ってやってよかったなと半助は改めて思った。
次々とあがるリクエストに振り回されている間、ずっと半助の左腕には平太の右腕が絡まれていた。慣れない温かな体温に、半助はふとくすぐったいような面映ゆいような不思議な感じがして、思わず微笑を洩らした。
するとそれに気付いた平太が、きょとんと小首を傾げ、少しだけ上に位置する半助の顔を見上げる。
「なんですか、先生?」
(……う……)
至近から見上げてくるそれに、半助は思いがけず狼狽した。
先程のように故意にしているのではなく無意識な分、可愛らしさに涼やかな色気のようなものが加わり、タチが悪い。
「なんでもないよ」
「でも、笑ったよな?」
引かない平太に、半助は苦笑する。
「いや、なんか、こういうのも偶にはいいもんだなあと思って、な」
「……」
平太は一瞬黙ってから、するり…と指を絡めてきた。
それへちらと視線をやった半助を、
「だめか…?」
不安そうでもなく、まっすぐな目で見上げてくる。
「いや、いいよ」
笑って答えてやると、平太は嬉しそうに微笑んだ。
「そこのハンサムな兄さん!可愛い彼女に一つどうだい?」
左右の店を冷やかしながらぶらぶら歩いていると、突然横から声がかかった。
見ると、白髪頭の親父が桃色の簪を片手ににこにこと笑っている。
髪飾りの露店らしかった。
色とりどりの簪や櫛、結い紐、それに手鏡などが所狭しと並べられている。
そんな中、一本の結い紐が半助の目を引いた。
水浅葱、とでもいうのだろうか。
涼しげで、明るすぎない、けれど鮮やかな蒼。
半助は徐にそれを手に取ると、平太の顔の隣に掲げてみた。
平太と初めて会ったとき、彼は浅葱色の風呂敷包みを持っていた。そのせいか、半助が平太を思うとき、六年のカラーの若草色とともに、常にこの薄水色のイメージがあった。
半助が口を開くよりも先に、店の親父が低く唸る。
「いやぁ……さすがだねぇ、兄さん!いいよ、それ。すごくいい。まるで彼女のために誂えたようだ」
「ええ。よく似合ってる」
半助も謙遜することなくそう言い、平太と結い紐を眺めた。
本当にぴたりと似合っている。
これなら女装のときでなくても、使えるだろう。
「しっかし、兄さん。兄さんも男前だが、こんなべっぴんさん見たことがないよ。これじゃあ、兄さんも気が気じゃないだろう?」
「ええ、まったく」
半助が、慣れた様子でさらりと微笑む。
平太が年相応の半助を感じるのは、こんなときだ。
平太はといえば、店の親父はともかく、半助の隠すことのない称賛の目に晒され、照れくさいような、落ち着かない気分で、ただ呆と立っていることしかできなかった。
そんな平太を尻目に、
「じゃあ、これください」
と半助がさっさと勘定を済ませる。
「こんな美人に使ってもらえたら、この紐も幸せだ。思いきりまけとくよ!」
と、親父はだいぶ値引きした金額で譲ってくれた。
歩き出してから、
「はい、平太」
半助が先程の結い紐を平太の掌にぽんと乗せた。
「え、と」
平太がなんと言ってよいかわからず困っていると、
「あ、もしかして気に入らなかったか…?」
途端に半助が申し訳なさそうな顔になった。
平太は慌てて叫ぶ。
「ちがう!…えっと、あの、ありがとうございました!……すげー、嬉しい」
結い紐をしっかりと両手で掴んで、平太は呟いた。
「そっか、それならよかった」
半助もにこにこと笑う。
いつのまにか、西の空が橙色に染まっていた。
「そろそろ、帰らないとな」
「ええ…」
二人とも大層名残惜しかったが、こればかりは仕方がない。
二人は、街道を逸れて、学園の裏山へ抜けた。
この道は昔から平太が好んで使っている道で、あの春の日以来、半助もここを利用している。街道をまっすぐ進んでも距離的にさほど変わらないため、学園関係者の殆どは素直に街道をゆく。従って、この裏山の獣道を敢えて利用しようなどという物好きはごく限られており、それも半助や平太がこの道を好む理由の一つだった。
茜色に染まった鱗雲がどこまでも広がる丘の上で、平太は下方で括っていた髪をぱさりと解いた。
緩く頭を振り、風に髪を気持ちよさそうに揺らす。
「あー、暑かった。やっぱり結い上げた方が涼しくていいですね」
そう笑ってから、平太は少し考え深げに半助の顔を眺めた。
そして、そっと半助の頬に手を伸ばし、静かに言った。
「…先生、今日はありがとう、付き合ってくれて。ほんとは出張の後で疲れてたんだろ…?ごめんな、わがまま言って……」
十日前と比べて、半助の頬はすこし痩せていた。
そんな平太に、半助は小さく溜息をつく。
(………ったく、本当にこいつは………)
「…へーいーたー。怒るぞ!」
半助は平太の頬を両手でむぎゅぅとつまんだ。
「こういうのはわがままとは言わないだろう?今日は俺だって、すごく楽しかったんだから」
そのまま、むにーっと横に引っ張る。
「い、いひゃい!へんへー!」
「わかったか?」
こくこくと頷く平太。
半助が笑って手を離してやると、平太は「うぅ、ひどいや先生」と涙目で頬を押さえた。
半助はくすくすと笑いながら、たまらなく愛しさが募るのを感じていた。
日頃平太は半助のことを可愛い可愛いと言うが、半助だって、平太のことが可愛くて仕方がないのだ。
こいつはそれを知っているのだろうか…?
いや、知らないんだろうなぁ、と半助は平太の横顔を眺めた。
おろされた平太の髪が、秋風に遊ばれてさらさらと揺れる。
柔らかな西日に照らされたそれは、あまりに綺麗で――。
(触れたいな)
と思ったときには、触れていた。
「先生…?」
突然髪に触れた半助を、平太が不思議そうに見る。
掬った髪が指の隙間からするりと零れ落ちる刹那、風が運んだ木犀の香りが、ふわ、と半助の鼻先に漂った。
その甘い香りに吸い寄せられるように、半助はゆっくりと顔を近づけ。
唇を重ねた。
平太が目を見開く。
それは掠めるように触れただけで、半助の手がもう一度さらりと平太の髪を梳いて、唇は離された。
「「………」」
微妙な沈黙が二人の間に降りる。
互いの視線は、逸らされたまま。
………なんとも妙な気分だ………、と二人ともが思っていた。
半助から平太に口付けたのは何もこれが初めてではない。
ないのだが――。
「か、帰るか…」
「そ、そうですね…」
どうにも気まずい空気が二人を支配する帰り道。
平太の頭にぽん、と明秀の言葉が浮かんだ。
『抱かれちゃわないように気をつけろよ』
………っそれだけはぜってーありえねーから!!!!!
抱かれるのがどうこうではなく、自分が愛しい半助を抱けないなんて、考えられないのだ。半助がよっぽど抱かれるのが嫌か、よっぽど平太を抱きたいというのならば、それは別の話になるが。
そういう意味でも、今のこの雰囲気は非常にまずいのである。
今日はすごく楽しかったが、女装デートは二度とやめよう、と平太は心の底で固く誓った。
それでも、半助に買ってもらった水浅葱の結い紐は、それから平太の一番の宝物となったのだった。
りっきーの“きれいなおねえさん”が超アリなら、平太のこんな美少女ぶりもアリかと。
土井先生とデートは実にうらやましいです。
そして、ほんっとリバくさくてごめんなさい・・・(当サイトでリバはありませんのでご安心下さい!)。